昔気質の男性は・・・―男の「生存条件」晩年を穏やかに過ごすために―Ⅰ
昨年亡くなった父は、身の回りのことや家事など、プライベートな部分での日常生活については、ほとんど何も自分ではできない人でした。
ある日、その父と母、私と家内の4人で病気療養中の叔母を見舞った際のことでした。
何かの話から、母が家を空けたとき、父が町なかのお弁当屋さんに弁当を買いに行った際の話題になりました。
そうすると父は、入院中の叔母に向かって
「K子さん(叔母の名前)こいつ(母のこと)は、私に弁当を買いに行かせたことがあるんですよ。買いに行ったら結構待たされて、もう2度とあんなことはしたくない。全く嫌な思いをした。」
と言い出したのです。
しゃべっているうちに、そのときのことを思い出したのか、だんだん興奮してきて、母のことを激しくなじりだしました。
最初は、何のことやら訳が分からずに聞いていた私たちも、どうやら母が留守の時、昼飯だか晩飯だかの弁当を自分で買いに行ったのが、随分屈辱的かつ苦痛だったらしく、そうさせた母が悪い、と怒りだしたのでした。
人の良い叔母は、せっかく父や母が自分の見舞いに来てくれたにもかかわらず、話題がとんでもない方向へ行ってしまって、少なからず戸惑っている様子でした。
怒っている父を見ながらも、仕方がないので苦笑いをしていた叔母の表情が思い出されます。
大正末期に生まれて、それなりに町の名士的なポジションについていた父は、ちょっとした買い物をしている姿さえ、他人に見られるのが恥ずかしかったのでしょうか。
まあ、やったことのない買い物ひとつ行くこと自体が、面倒でしょうがなかったのかも知れません。
父の場合、いくら何でもかなり極端だとは思うのですが、昔気質の男性にはこんなタイプが多いのでしょうか。
ただ、傍で見ていて
「弁当ひとつ気軽に買えないというのは、随分窮屈なもんだなあ・・」
と、少々呆れたものです。
そんな父も昨年母より先に亡くなりましたが、これが逆だったらと思うと、少しぞっとします。
父のようなタイプは一人残されたならば、身の回りのことはほとんど何も自分ではできないからです。
ただ、年配の男性にはこれに近い感覚の人は多いのでしょう。
つづく