計算が成り立たなくなったのか?―時代背景によって変わる職業への魅力―Ⅲ
日本における官僚の置かれている現状について北岡名誉教授は、次のように書いておられます。
―恵まれない条件でも優秀な若者が霞が関に進むのは、国家の運営に携われる使命感と満足感からだった。
しかし現在、それも難しくなっている。(中略)
政治主導は重要だが、行き過ぎると官僚はイエスマンになるか辞めるしかない。
全体として、能力も士気も低下する。―
ここのところのエリートたちの心理は、立場が全く異なる私にはよくわかりません。
ただ、ちょっと思うのは、使命感云々という前半の表現は少しきれい過ぎやしないか、ということです。
最難関の東大法学部に進んだ学生は、さらに最難関と言われる上級国家公務員試験に、「これまで自分は試験に強かった。」という、自らのプライドをかけて挑むのではないでしょうか。
そこにあるのは、その先の国家運営に対する強い使命感というよりも、「また俺は最難関をクリアしてやったぞ!」という自己満足的なものの方が大きいのではないか、と私は疑っているのです。
まあそれが必ずしも悪い、という訳ではないのですが・・・
とにかく若いうちに、そういった難関を突破していれば、当面は安月給でも、やがて「天下り」というおいしいエサが待っているという従来からの仕組みについても、賢い彼らにとって当時計算済みだったのではないでしょうか。
ただ、そういった仕組みがほぼ崩壊したということは、その計算が成り立たなくなったことを意味します。
つづく