よくまあこんな意識で残っていたものだ―日大騒動に見る日本の悪しき古めいた体質― Ⅰ

 

日本大学アメリカンフットボール部の不正プレー事件は、今も連日報道されている。(2018年5月現在)

 

その社会的影響は、当面留まるところを知らないだろう。

なぜこんなことになったのか、様々な分析がこれからもなされるだろうが、私は、今回の事件で驚かされた幾つかの点について述べてみたい。

 

第1に驚いたのは、何といっても日大の旧い体質である。

今の世の中で、あれだけの大きな組織が、よくまあこんな旧態然とした意識で残っていたものだ、と逆に妙に感心させられた。

 

どうだろう?

あれが民間の普通の企業だったら、とっくにつぶれていたのではないだろうか。

大学という特殊な事業形態だったから生き残ってこれたのではないか、とつくづく思わされた。

 

日大も個々の学部としては、皮肉なことに「危機管理部」などという現代にマッチした学部もあったりして、決して何もかもが古臭いままだった訳ではなさそうである。

とはいえ、中枢部があの体たらくでは、それらの近代的な学部やそこで教えられていた学問もかなり怪しいものだ、と思われても仕方がないのではないだろうか。

 

日本の場合、一般企業においてもその生産性の低さなどから、かなりの意識改革が迫られていると思うのだが、大学という組織はそれ以上に旧い体質を引きずっているのだろうか。

他の多くの大学が、こんな体質でないことを願いたいところである。

 

つづく