「働き方改革」というけれど・・・―「和」とパフォーマンス―Ⅰ
「働き方改革」ということを言われ始めて、もうだいぶ経った。
法的な規制もかかってきているので、待ったなしで取り組まなければならない。
「働き方改革」の意図するところを端的に言えば、
―生産性を上げて、給料を下げることなく、働く時間を短くすること―
ということになる。
経営者側がOKを出せば、給料を下げないことと働く時間を短くすることはすぐにでもできる。
しかし、生産性を上げるのは、経営者と従業員の両方が協力しなければ実現は難しい。
経営者側にとってみれば、生産性の向上を実現できないまま形式的な改革だけ進めると、やがて自分の首を絞めることになる。
結果として、下手をすれば事業の縮小とかリストラの断行、といったネガティブな方向に走りかねない。
とはいえ、先進諸国の中では、ホワイトカラーの生産性が最も低い、と言われている日本である。
生産性の向上を含めた「働き方改革」に、着手せざるを得ないのである。
それでは何故、日本企業の生産性は低かったのであろうか。
それはおそらく、これまで「生産性を上げる必要性」に、あまり気がつかなかったからではないだろうか。
生産性を上げなければ・・・と考えるとき、普通そのベクトルは、働く人間個々のパフォーマンスを上げる、ということに向かうはずである。
しかし、日本の職場の雰囲気を考えてみればわかると思うのだが、そこで働く人間は、ストレートに「自分のパフォーマンスを上げなければ・・」とはあまり考えないのだ。
つづく