町内唯一の生き残りとして思うこと
―町の変遷と私が取り組んできたこと―Ⅺ

そのほか、半年間のスポットでしたが、地方新聞にコラムを掲載したことがあります。

十数回連載されたそのコラムで、私が書かせてもらった内容は、主として地方の経済活性化支援といったところでした。

 

これも一般の方にオピニオンを届けることができるという点で優れた媒体だったと思います。

しかも、ペーパーはラジオと違いしばらくは手元に残るので、じっくりとこちらの考えを伝えることができます。

機会があれば、また挑戦してみたい情報伝達手段です。

 

私の事務所は、父が開業してから数えれば、既に50年を超える歳月を重ねています。

父は商工会、法人会、ロータリークラブなどを通じて、ほとんどの町の経営者の方とはお付き合いがあったはずですから(もちろん私もありますが・・)町内で名前を知らない人は少ないでしょう。

 

それでも私が「販売促進」に熱心に取り組んだのには理由があります。

それは、これまでも何回も述べてきましたように、町内の人口が急激に減ってきて、廃業に追い込まれる商工業者が増加してきたからです。

 

地縁血縁を通じてこれまでご縁のなかったような事業者にも接点を持つ必要があったからです。

私の事務所の存在を知らない層にも、サービス内容や事業方針を伝えて、共感を持ってもらう必要性があったからにほかなりません。

 

果たしてその効果が大きかったのか、そうでもなかったのか何ともわかりません。

とはいえ、新しい出会いは常にあるものなので、これからもこの活動はやめる訳にはいきません。

 

 

つづく