ビジネス慣習、地域性との戦い ―「地縁血縁社会」をどう生きるか―Ⅲ

さて、こんな風に初めの頃は

「何故田舎では、普通の商慣習やビジネスマナーが行われていないのだろう?」

と不思議でしたが、やがてその原因が掴めました。

それは「地元が極めて「地縁血縁」で結びついている社会である」ということです。

つまり、地域社会そのものが、いちいち堅苦しい挨拶などしなくても、俺のことは知っているはずだ、私のことはよくわかっているはずだ、という前提に立っているのです。

 

そういった前提が、オフィシャルとプライベートとのけじめやメリハリをきちんとつける、といったことが成されない緩さに繋がっていたのです。

あらかじめ、相手の来歴や氏素性をよく知っているということが、ビジネス上でもプライベート上でも大切な条件であり、地域社会を成り立たせている重要な要素だったのです。

現実にそういった背景の下で地域の営みが成り立っているわけですから、このすべてを否定することはできません。

 

ただ、私のようにかなり長い間地元を離れていた人間にとっては、プライベートな情報(地元の人々の氏素性など)もまたそれを重視する考え方も、自分の中にないものだったので、極めてやりにくかったことは確かです。

このようなマインドを持ち地元の情報にいろいろと明るいということは、地域社会で暮らす上でマイナスということは特にありません。

 

しかしながら、一つだけ決定的に困った事態を招くことになります。

それは「ビジネス上の発展性を大きく阻害する」ということです。

どういうことかというと、地方の場合、例外なく過疎化が進み高齢化社会が加速していました。

つまり、それまでのマーケットでは商売が厳しくなっていたのです。

ということは、それまでの地域社会というマーケットからできるだけ脱却して新しい市場を開拓する必要がありました。

つまり、地縁血縁をベースに成立していた商売が維持できなくなっていたのです。

 

つづく