経営者像の違いは企業のあり方を決定するのか―日本のリーダー像を危惧する―Ⅱ

さて、そうやって猛勉強をした玉塚氏だったが、彼の目からは身近に接した欧米の経営者、それに対する日本の経営者というものは、どういう風に映っていたのであろうか。

 

その点に関しては次のように述べておられる。

― 学校では、卒業生で起業した人たちの講演会が開かれる。30歳代半ばで数千億円規模の売上高を誇るビジネスを実現した起業家たちが、「僕たちは、このビジネスによって世界を変えていく」などと語りかける。

当時の私の経営者(特に日本)のイメージは、黒塗りの車に乗って重役出勤し、部下がつくったスピーチを承認し、夕方になれば料亭で政財界の要人たちと意見交換する、という単純なものだった。

皆がそうではないけれど、若い頭にはイメージがこびりついている。

しかしアメリカの若い起業家たちの姿は真逆だった。―

 

卒業生でなおかつ数千億規模のビジネスを立ち上げた起業家の話が聞けるというのは羨ましい環境である。

これこそがまさに実学であろう。

日本でもこういった講演会のような試みは頻繁に行なわれているのであろうか。

 

また、ここで玉塚氏のいわれる日本の経営者像はステレオタイプ過ぎてちょっと滑稽だが、実際はどうなのだろう。

今でも、おおむね似たようなところはあるのだろうか。

 

例えば料亭で行なわれる意見交換で、本当に重要な案件がスピーディーに決まっていくとは思えない。

日本の経営者の中には「こういうことができる立場になった俺!」に大いなる満足感を覚えている人はいないだろうか。

 

つづく