変革へのプロセスをアメリカと日本の国民性の違いをヒントに考えるⅤ
とはいえ、アメリカという国がこれまでの不都合をすべて劇的に変えてきたか、というと必ずしもそうとは言えない。
例えば「銃規制」の問題は、そのことが原因で人命が失われる悲劇や事故の多さを考えれば、我々日本人なら何らかの手が打たれて当然と考えるのだが、未だに根本的な解決には至っていない。
アメリカだって、ある部分相当保守的な国なのだ。
そういう意味では、アメリカは日本に比べてふり幅の極めて大きい国であることは確かなのである。
びっくりするくらいイチかバチかに賭けることもあれば、何でこんなことが変えられないんだろう?と首をかしげるくらい頑固なところもある。
ただ日本人は全体的に、ケント氏の言う「日本人は不都合を「我慢すればいい」「慣れればいい」と考える。」という点が強すぎるとは思う。
古来「我慢」は日本人の美徳とされてきた。
しかし、変化が本当に必要な時代になると、我慢という美徳は「変えるのが億劫、長い物には巻かれていればいい」的なマインドとの境目が曖昧になってくる。
「我慢」にも精神力は必要であろうが、何かを変えるというのもまたエネルギーが要求されるのだ。
ましてや「慣れればいい」というマインドは現代においては、多くの場合美徳とは言えないだろう。
「慣れた方がいい」ものと「変えなければならない」ものとは厳しく峻別されるべきである。
つづく