贈答文化を考えるⅣ

父もそうであったが、大量に届けられたそれらの品々を、当の本人(堺正章)は、ほとんど口にすることはなかっただろう

彼は、おそらく見ることもあまりなかったのではないか。

 

実際、父もいただいたビールなど一人で飲み切れるわけもなく、私や弟がせっせと援護射撃的に飲んでもとても消化しできるものではなかった。

そうこうするうちに、また次のシーズンに贈答品として届けられたのである。

 

さてこうなると、いったい贈答文化って何なのだろう、と疑問が湧いてくる。

本当にこんな習慣、あった方がいいのだろうか、と。

 

かつて「虚礼廃止のお願い」をもらったときに、その通りだな、と思った。

少なくとも、儀礼的なやり取りは減らしていったところで、誰も何も困ることもないよな、と私も思ったのだ。

 

日本の贈答文化は

「お世話になったあの人に、一年分のお礼と感謝を込めて。」

という広告コピーにあったように、感謝や礼節の印(しるし)だったのだろうと思う。

しかし、多くの場合実際にはお世話になった訳でもお世話した訳でもない人に、儀礼的に贈ったりもらったりしているのが現実なのではなかろうか。

 

 

つづく