え!シルバー民主主義だと?―熟年層よ、そんなこと言われているんだぜ!―

揶揄するネーミング「オールドメディア」

最近気が付いたのだが、一つ一つの単語としては珍しくもないのに、その組み合わせによって、新しいコンセプトを表現するようになった言葉がいくつかあるようだ。

その最たるものが「オールドメディア」ではないだろうか。「オールド」も「メディア」も言葉としては別に新しくも珍しくもない。

しかし、現在使われている意味での「オールドメディア」という言葉は、それが生まれた理由を含めて言わんとしているコンセプトは新しいと思う。それは即ち、これまで絶大な信用、信頼を得ていた新聞、テレビなど様々な大手メディアが、実は極めて恣意的で偏った情報を流し続ける怪しい存在らしい、と近年多くの人が気付き始めたことがその背景にある。

長年、そんな手法を続けてきた彼らが、世の中がこれほど変化してきたにもかかわらず、そのやり方を一向に変えようとはしないので「オールドメディア」という、いわば揶揄するようなネーミングで呼ばれるようになったのである。この場合の「オールド」という言葉は、時代遅れとか古臭いとかネガティブな意味で使われているのだ。

 

昔はなかった「シルバー民主主義」

この「オールドメディア」に対して、インターネットをベースにしたSNSなどの情報媒体を「ニューメディア」と呼ぶのだろう。ところで、その「ニューメディア」の中で、最近しばしば登場するようになったのが「シルバー民主主義」という言葉である。

この言葉にしても、それを構成する「シルバー」も「民主主義」も別に珍しい単語ではない。しかし「シルバー民主主義」と言われると、そんな言葉は、昔はなかったけどな、と思う。

これも極めて現代的な現象を、如実に表している言葉であることがわかる。この言葉が使われるようになった最大の要因は「選挙」ということになるのではないだろうか。

日本の選挙における投票率は、諸外国に比べて極めて低い。特に若年層のそれが低く、国政選挙における20代の投票率は30%台らしい。一方、70代以上のシニア層の投票率は70%を超えていて、20代の2倍以上という結果が出ている。

ということは、政治家は選挙に勝つためには、70代以上の票がボリュームゾーンになるので、どうしてもそこの層に受けのいい政策にシフトせざるを得なくなる。そうすると、お年寄り向けの福祉関係に偏ったタイプの政策が多くなり、若者が積極的に未来を築いて行けるような政策立案や予算配分がおろそかになってしまう。これが悪しき意味での「シルバー民主主義」が生まれる最大の要因なのである。

 

投票に行かなきゃ変わらない

先日、お年寄りの投票行動について、当のお年寄りに巣鴨の商店街でインタビューする場面をインターネット上で紹介していた。すると、一人の老婦人は「石破さんがあんまりいじめられて可哀そうだから自民党に入れてあげるの。」と答えていた。もう一人の老婦人は「知り合いに頼まれたから公明党に入れるの。」と答えていた。

いずれも「可哀そうだから・・」とか「頼まれたから・・」という理由である。政治的に関して、自分はこう考えるから、といったものではない。「えーっ!?」と私はあきれてしまった。

また、これを聞いていた若者が「なんだよ!そんな理由で投票するのかよ。だからシルバー民主主義とか言われて、日本がちっとも良くならないんだよ。」と憤慨していた。確かに高齢者の投票率は高いのかも知れないが、上記のような投票マインドでは政治が良くなるとはとても思えない。若者が憤慨するのもわかる気がする。

しかし一方で「シルバー民主主義」の弊害は、先述のように若者の投票率の低さが最大の原因であることは間違いないのだ。とにかく投票に行って、自分たちの意思を直接示すしか解決の道がないことははっきりしている。

 

中身が異なる二つの弊害

以前、私はこのブログで「組織票」の馬鹿らしさ、怪しさについて書いたことがある。この「組織票」という存在が、日本の選挙を本当の意味での公正な選挙のあり方から遠ざけていることは間違いない。

ただ、「組織票」の弊害と「シルバー民主主義」の弊害は、少し中身が異なると思う。どうあれ「シルバー民主主義」の方は、自分で投票に行って、自分の選んだ人に入れるのだから、そもそも文句を言える筋合いのものではない。年齢に関係なくその人の自由であり勝手である。

しかし、「組織票」の方は、初めから他者によって指定された候補に自分で取捨選択することなく投票するという行為なのだ。前のブログでも書いたが、私には信じがたい投票動機であり、投票行動である。こっちは「そんなのやめちまえよ。」と、声を大にして言いたい。

 

俺はいいから若者に回してくれ

ところで、選挙における「シルバー民主主義」の存在が困ったものだ、ということで行けば、私は現在73歳だから、その困った投票をしかねない当の本人である。政治が、私の世代に手厚い政策を取ってくれるのなら、それはありがたい話とも言えるのだ。

しかし、ここははっきりと宣言しておきたい。

「俺はいいから、政策や予算は、どうか若者中心に立案し回してくれ。年寄りを優先させることはない。」と。

選挙のたびに、弱い立場の高齢者には手厚い政策を、と耳当たりの良いことを言う政治家は多い。しかし、私は日本の高齢者は、福祉的にはかなり恵まれている方だと思っている。

かくいう私はまだ現役なので、その恩恵にはあまり浴していない。

しかし、「引退したあかつきには、俺にもどうか手厚くして欲しい。」などと、国に頼るつもりは毛頭ない。

それよりも若い世代を何とかしてやらなければ、日本の未来が無くなってしまうではないか。

できれば、「組織票」という言葉も「シルバー民主主義」という言葉も、世の中から消滅して欲しいと思う。選挙が本来の風通しの良い健全な姿になれば、どっちの言葉も過去のものになるはずである。

わが友、シルバーたち。

おい、みんなどうする?