保守、リベラル、左翼、右翼、いろいろ言われているが―リベラルに対する一つの見解―(前編)

いきなり始まった自衛隊批判

小学生の頃の話である。隣のクラス担任は、まだ若い女性の先生だった。

今思い出してみると、彼女はどうも日教組だったのではないだろうか。

何の事情だったのか忘れたが、私のクラスの担任が休んだことがあった。

そのとき隣のクラスの女先生は、ホームルームの時間に私の教室にやってきて、いきなり自衛隊批判を話し始めたのである。

何の前ぶれも前置きもなくである。こっちは、ただただあっけにとられるばかりだったけれど、とにかくなんか怒ったような口調で、滔々と自衛隊批判を続けるのを黙って聴くしかなかった。

そのとき私は、「そうか、自衛隊ってそんなひどいものなんだ。」とも「なに、わけのわかんないこと言ってんだ、この人は。」とも思わなかった。

他のみんなもキョトンとしていたことだろう。

ただ、こうして今でも印象的に覚えているということは、子供ながらもかなり強く心に残ったからにほかならない。

 

ずっと左翼的な時代背景

イデオロギー的な言説に対してはっきりと記憶にあるのは、このあたりからで、その後、中学に上がり高校を経て、浪人を経験したあと大学生になった。

そのいわば青春時代、私たちの世代は、ずっと左翼的な時代背景というかそんな空気感の中で生きてきたのである。

私のちょっと上は団塊の世代である。

やや下火になっていたとはいえ、私の世代くらいまでは、まだ学生運動が盛んで、大学のキャンパス内だけでなく、若者の間では、ときの政治や体制側に対して批判的なポジションを取るのが当たり前といった世界だった。

当時、天皇や皇室を敬うとか自衛隊を支持するとかを日常会話の中で表明することなど、およそ考えられなかった。

そんな思想信条を表に出そうものなら、それこそ「お前は右翼か!」といったレッテルを貼られかねないほど時代は左寄りの空気感だったのである。

 

リベラルでなければカッコ悪い

ということは、もの心がついた10代初めくらいから、30代の社会人になるまでの若い頃の30年間くらいは、この左がかった時代感の中にどっぷりと浸かっていたことになる。

この頃は、保守とか体制とかもっと言えばときの政治、政権とかに対して、大した思想的な根拠などないにもかかわらず、ひたすら反発や嫌悪感を抱いていたのである。

とはいえ、私はゴリゴリの左翼ということもでもなく、実にユルーい学生時代を過ごしていた。

そんな立ち位置にいて完全な左派とかではなくても、とにかくリベラルでなければカッコ悪い、という雰囲気が世の中を支配していた。

ただ、そんな世界観は都会の、中でも学生を中心とした社会環境下での話であり、私の田舎を含む全国的な傾向としては、やはり自民党を軸とした保守政治が多数派を占めていたのである。

リベラルな若者たちと保守的な大人世代とのギャップは大きかったと思う。

 

「自虐史観」と「欧米コンプレックス」

その他に、当時の時代の意識として、保守、革新に関係なく、世の中的に割とハッキリしていたのは、「自虐史観」「欧米に対するコンプレックス」だったのではないか、と私は思っている。

この二つについては、偏った歴史教育による自虐性西欧への無条件の憧れといったものが、まだ根強く日本人の意識の中には残っていたからではないだろうか。

ただ、これらについては現在ではどうだろうか?

今の若い人の意識からは、既にかなり払拭されているのではないかと思う。

自虐史観については、情報収集の方法が格段に発達した今、昔ながらの自虐的一辺倒な歴史観を持つ若い人は、もうそんなにいないのではないか。

そう期待したい。ほとんどの人が、隣国の押しつけがましくゆがんだ歴史観には、いい加減ウンザリしていることだろう。

欧米コンプレックスというのは、別の言い方をすれば、「白人コンプレックス」といえるかも知れない。

何にしても、昔はヨーロッパやアメリカに勝てるものがあるとは思えなかった。政治にしても経済にしても文化にしてもすべて敵わないのだ、と思っていたのだ。この点に関しても、私たちより若い世代は、特にそんな価値観は持っていないのではないか。

 

デタラメだった戦後の歴史認識

さて、上記の2点にプラスして、冒頭書いたように左寄りの思想が若い世代の間では割と一般的であった。

つまり、当時の教育にしても世相にしても、日本という国には、世界に向かって胸を張って誇れるようなものは何もないのだ、と思わされていたような気がする。

ところが、40代50代を経て60代にもなった頃、ようやくというか今さらというか、それまで、正しいとされ教えられてきた日本の現代史がかなり怪しいものであることが次第にわかってきた。

ちゃんと歴史を振り返り、日本の文化をしっかり研究してみれば、我々が学んできた特に戦後の歴史認識がいかにデタラメなものであったのかが明るみになってきたのである。

私や私に近い世代の人間たちが、どっぷりと浸かってきた左寄りの世界観というものが、私の中で音を立てて崩れ始めたのだった。

それは、様々な情報や新しい知識を取り入れることで、かなりリアルな現代史の姿が認識できるようになったからにほかならない。

さてここまでは、或る意味私が子供の頃から感じてきた時代感であり、それがようやく覆りつつある、ということの説明である。

実はここからが、今、本当に言いたいことになるのだ。

新聞にも随分騙されてきたなあ

 

つづく