どうなる?どうする?「オールドメディア」―その報道姿勢が問われる日本のメディア―

オールドメディア対ネットメディア

「オールドメディア」という言葉が定着しつつある。

ご存じだろうか。ちょっと前までは使わなかった言葉だ。

オールドメディア・・・言うまでもなく、新聞やテレビなどこれまで世の中を席巻してきた大手メディアを指す言葉だ。何故こんな言葉が出現してきたのか。

これらのマスメディアに対して、ほぼパーソナルでも発信できるネットの世界が、対等あるいはそれ以上の力をつけてきたからにほかならない。個人レベルによるネット発信は、当たり前の話だがスモールメディアである。

こんなものがそんなに影響力を持つとは、当初誰も予想しなかっただろう。とはいえ、ビジネスにおいては随分前からその力は発揮されてきた。いわゆる、商売の世界では、ネットの持つ宣伝力、販売力は無視できないどころか、むしろ、主流になりつつある。

 

潮目が変わってきた

ただ、政治の世界では、まだ従来のマスメディア、つまりはオールドメディアの方に、その影響力の大きさについては分があったような気がする。どんなにネットの世界で評判になっていても、選挙に際しては、ふたを開けてみたら意外に騒がれていたほどには票に結びついていなかったからである。

いざ選挙になったときには、テレビや新聞の方がやはり強い影響力を発揮していた。

しかし、これが先の東京都知事選あたりから潮目が変わってきたのではないかと思われる。

明らかに、ネットの影響が強く表面に現れるようになってきたのだ。

都知事選のときには、SNS戦略を駆使した石丸候補というダークホースが、名の知れた野党女性候補を上回って2位に食い込んだのである。これは当初、予想されていなかったことであった。

そして、先般の兵庫県知事選である。ゼロどころか、マイナスからのスタートだった前知事が、旧来のメディアからの袋叩きに会いながらも、ネットの発信情報等のバックアップで盛り返し、大逆転劇(再当選)を演じたのだ。この時点で、前知事のネガティブ情報を流し続けた旧マスメディアに対して「オールドメディア」という言葉が完全に定着したような気がする。

このとき、新聞テレビといった旧来のメディアは、こぞってアンチ斎藤前知事路線を張り、それは全国にも喧伝された。ところが、そんな思惑とは正反対の結果になったのである。

 

あまりにも劣化した日本のメディア

オールドメディア・・・この言葉は、新聞、テレビといった旧来のマスメディアを、やや揶揄するようなネガティブな意味合いを含んでいる。いったい何故、こんな単語が表出してきたのであろうか。

それは、従来のマスメディアに対して、その姿勢、力量、現代性などにおいて、大いなる疑問が提示され始めているからにほかならない。私も日本のメディアは、あまりにも劣化したのではないかと思っている。

以前にも書いたことだが、私はもう随分以前に地上波テレビを観ることをやめてしまった。家にテレビはあるが、地上波のチャンネルに合わせることはほぼなくなった。それから数年後、新聞の購読もやめた。

現在、「オールドメディア」という単語で、従来のマスメディアが揶揄される何年も前の話である。そうしていたら、昨今のような状況になったのだ。

 

「情弱」というレッテル

「オールドメディア」という言葉には、もう終わってしまった存在、といったニュアンスが含まれている気がする。テレビや新聞などの旧メディアは、これまでの路線をよほど変更しなければ、今後大衆の支持、特に若い層の支持は得られないだろう。

テレビや新聞からしか情報を得ていない高齢者層は、既に「情弱」(情報弱者)とのレッテルを貼られている。

「ネットから情報を得ていればそれでいいのかよ。」との声もあるだろうが、そうではない。

新聞の社会面で掲載される類(たぐい)のニュース、災害や事故、殺人など各種事件といったものに関する情報は、ネットでもマスメディアでも共通に取ることができる。ここに大した差はないだろう。

問題は、政治的側面を持った情報、或いは薬害公害など社会的側面を持った情報、それに国際情報である。

これらの情報に、旧メディア側の思惑がかぶさったときにどうにもおかしなことが起きるのだ。

 

強力に働く「報道しない自由」

政治的社会的ニュースには、そのメディアのスタンスによって明らかにバイアスがかかっている

自社に都合の悪い情報、或いはイデオロギー的立場を異にする情報は、メディア側の取捨選択が行なわれ、正確なところが伝わってこない。

ここでは、「報道しない自由」が強力に働くのである。

同様のことは、国際情報でも顕著ではないのか。私の感想としては、韓国や中国の現状が必ずしも正確に伝わっていない気がする。

もともと、旧メディアの方は既に観ても読んでもいないので、正確なところは何とも言えないが、かなり忖度した報道が行なわれているのではないか。

本当は英語メディアなど外国のニュースに直接接していればいいのだろうが、いかんせん言葉の壁という奴が邪魔をする。まあそれでも、これら世界のニュースをちゃんと日本語で解説してくれるネット配信はあるので、それを利用して情報を得ることはできるのだ。

 

自分たちこそ反省したらどうだ!

確かにネットの世界は玉石混合である。ひどいフェイク情報はマスメディア以上だが、ちゃんと選べば質の高い情報を取ることはできる。

要は取捨選択するこちらの力量や姿勢の問題なのだ。

オールドメディアでは、SNSなどネットメディアのネガティブな側面を盛んに喧伝しているようだが、その前に「自分たちこそ反省したらどうだ!」という多くの人々の感想は免れ得ない。そこに思いは至らないのだろうか。

「オールドメディア」という言葉は、流行語ではなくおそらく定着するだろう。

今後、この単語が、それこそネガティブなイメージのまま使われ続けられないためには、旧来のマスメディアは、その報道姿勢において相当な方向転換を求められるのではないだろうか。

 

新聞、読まないなあ・・・