勉強を続けられる、という才能―振り返れば、俺にはなかったなあ・・―(前編)
生活アンケート調査
少年時代、今でもはっきりと覚えている記憶があります。
田舎の小学校で、まあ割と成績の良かった私は、ラッキーなことにその田舎の県庁所在地にある中高一貫の進学校に受かりました。中学一年生から親とは離れて暮らすことになったのですが、それでも全国的に有名な学校だったので、かなりうれしかったことを覚えています。
さて、その中学校に入学して間もないときのことです。
生徒全員にアンケート調査がありました。
アンケートの内容は、生活全般に渡ってのことでした。夕飯は何時くらいに食べるのかとか、テレビは何時間くらい観るのかとか、朝は何時に起きるのか、朝食は取っているかとかいったことだったと記憶しています。
驚異の勉強時間
その中に「家に帰ってから何時間勉強をしているか?」という質問がありました。進学校でしたから、まあ当たり前と言えば当たり前の質問です。
ここで私は「うーん・・・」と考えました。当時、下宿生活でしたが、部屋に帰っても勉強なんてほとんどしていなかったからです。
それでもまだ中学一年生。ウソを書くなんてことは思いつきもせず、割と正直に「30分」と書き入れました。
ただ、この質問については少し気になったので、隣にいたK君の回答をそっと覗き見してみたのです。
するとそこには、驚愕の数字が書き込まれていました。
彼は何と「5時間」と記入していたのです。
あっ!と驚く私の様子が彼にも伝わったのでしょう。そっと覗いたにもかかわらず、私が見ていることがバレると、彼は解答用紙を手で覆うように隠してしまいました。
勉強しなきゃあ落ちこぼれる
しかし、私にはそれで十分でした。
『ご、5時間!・・す、すげえ。』驚くと同時に、さっき「30分」と書き込んだ自分を、あれじゃマズいと思い直し、あわてて「2時間」と書き直したのです。もちろん、ウソでした。
それにしても、中一からもう5時間の自宅学習。驚異的な数字であります。夕飯やお風呂以外、寝る時間までひたすら勉強し続けなければとても埋まらない数字です。
非常にまじめなタイプだったので、ウソを書いたり盛って書いたりしたとは思えません。彼は、その後、と言っても6年後のことですが、やはりというか当然というか東大に受かりました。
一方、実は30分しか勉強していなかった私。(本当は30分もしていたかどうか怪しいのですが・・)これまた当然のように、その進学校からははじき出されてしまいました。まあ、これは至極当たり前の話というか、ひたすら勉強をするためだけの目的で入学した進学校で、まるで勉強しなければ落ちこぼれるのは必然の結果なのです。
2種類の「勉強ができる奴」
今、あの当時のことを振り返って思います。
それは、いわゆる「勉強ができる」というのには2種類あるのではないかということです。
もともと相当頭が良くて、それほど長時間勉強などしなくてもある程度の成績が確保できる奴。5時間の彼のように、ひたすら勉強することで良い成績を取りに行く奴。
当然、前者の数はそれほど多くはありません。同学年の中にも天才的に頭のいい奴がいて、勉強以外のことをワアワアやっていながら、最後にはちゃんと東大に受かっていました。
この地頭が極端にいい奴というのを別にして、後者のコツコツと勉強することができる、というタイプについて考えてみたいのです。
長時間の勉強に耐え得るのは「才能」
おそらく同学年の大半は、後者の「5時間君」的優等生だったのではないか、と思います。その彼らについて考えてみました。
中学生の頃からあんな長時間の勉強に耐えられるというのは、一種の「才能」というか持って生まれた資質としか思えません。
「耐える」と書きましたが、これは私の言い回しであって、彼らには耐えている、などという意識すらなかったでしょう。
ときどき思います。
『俺にも、あの長時間勉強に耐えることのできる才能が少しでもあったならば・・・』と。
おそらく、仮に地頭がそれほど良くなくても、一日5時間の勉強ができる才能があったなら、受験競争の勝者くらいにはなれるでしょう。(社会人になったら、それだけでは足りませんが・・)
勉強してればなあ・・・
つづく