「社会人経験」という無形の資産価値について―純粋培養の危険性を考える―(後編)

あのまま会計事務所にいたら・・

友人と会社を設立した私。それが、いわゆるマーケティングリサーチの会社だったのである。

だから私は、大学を出たあと、

会計事務所職員→フリーター→大学院生→会社設立(役員)→税理士登録、

という順番で、税理士になったということになる。

大学院生時代とフリーターや会社役員はやや重なってはいるが、とにかく、こうやって振り返ってみて、まあフラフラといろいろやってきたもんだ、と今さらながら思う。(大学院生時代、結婚もしております。)

さてここで、冒頭の「専門職に就くのは、他の業界の職業経験を積んでからの方がいいのではないか。」というテーマに戻ることになる。これを自分に振り向けて考えたらいったいどうなるのか。

私の場合、実にフラフラと紆余曲折あったけれど、いろいろやってきてよかったな、と思っている。大学を出てあのまま会計事務所にいて、仮にそこで苦労して資格を取っていたとしても、今みたいな事務所経営はできていなかったのではないか、と思うのだ。

 

マーケティング的アプローチの結果

現在、私の事務所は約20名体制、人員は父の時代の2倍以上、売上もそれくらいの数字である。おそらく、私がマーケティングの仕事を経験していなかったら、こんな事務所経営はやっていなかったのではないだろうか。

私は、この業界に入った当初、税理士業務というものを、マーケティング的視点で分析してみた。そうすると、この仕事、従来の考え方ややり方では、どう分析しても将来は暗いようにしか思えなかったのである。

そこでこの分析の後、マーケティングの知識を活かして、今後進むべき方向性を戦略的に考えた。そして、それを外に向かって発信してもみた。初めのうちは、こういったアプローチは周りから全く理解されずに随分反発を買ったことを覚えている。

ただ、これは私にとってそれほど難しいマーケティング分析でもなかった。むしろ、周りが理解できないのが不思議だったくらいだ。

とにかく、私なりにやるべきことの具体策はいろいろと出ていたので、それを少しずつ実行していった結果が現在の事務所である。もちろん、すべてが順風満帆というわけにはいかなかったが、マーケティング的アプローチが大きく外れるはずもなく、割といい感じで今のタイプの事務所ができあがっているのではないか、と思っている。

 

フレキシブルな発想の要因は

自分でリサーチして統計的な分析をしたわけではないが、業界誌などを読んでいると、どうやらこの業界でも2極化が進んでいるらしい。2極化とはどういうことか。

それはまず、旧来の考え方ややり方から脱皮できないでいる事務所は淘汰されるか、低価格路線で作業的な仕事を請け負う、という姿になっているようだ。

一方、法人組織にした上で様々な専門部署を備えて、全国に支店を作るなど、巨大化している事務所も出現している。

私の事務所は、法人化したもののまだそれほど大きな組織ではない。ただ、今は処理作業を請け負う的な仕事はやっていない。

どちらかといえば、顧客企業の経営を支援し、提案やアドバイスを行なうタイプの仕事にかなりシフトしてきている、と言っていいだろう。それでも、まだ道半ばといったところで、やるべきことは山積しているのだ。

 

結論として思うこと

私は、自分が違う業界(私の場合マーケティング業務)に所属していたのは極めてラッキーだったと捉えている。中でも、マーケティングという考え方を取り入れることができたのは、その後のビジネス展開に好影響を与えた。

マーケティングというのは、頭を柔らかくして先を見据える技術でもある。ずっと同じ業界の中にいたら、今みたいなフレキシブルな発想をすることはなかっただろう、と思う。

医者や教員に限らず、他の業界を知ることの重要性はここにあると思う。広く世間を見ることは、大きな意味を持つのだ。

そういえば、政治家の中にも2世3世となると、あまり世間のことがわからずに、国民の意思とはかけ離れた政策を考えたり実践したりする人間が出てきているように見える。ここにも純粋培養の弊害が出ているように思えるのだ。

いずれにしても、自分の専門分野とは離れた世界で修業を積むというのは、その後の職業人生を考える上で、必須のテーマではないだろうか。

こんなセミナーを開催したりしていました。

だいぶ、昔のことですが。

 

 

おしまい