この一件を考察してみました―「ねえ、お兄さん・・」このひとことから始まった或るエピソードーⅡ

さて、改めてこの件を振り返ってみると、彼は、靴磨きのプロ(おそらくですが・・)であると同時に接客業であるにもかかわらず、あまりの愛想の無さに、少しだけとはいえ私の怒りを買ってしまったことになります。

その後、この一件は私にいろんなことを考えさせました。その感想というか、まあ小難しく言えば考察のようなものを蛇足とは思ったものの、ちょっと書いてみたいと思います。

 

それなりの礼は尽くすべきでは

この件をどう考えたかというと、大きく2点に分かれます。

一つは、彼の私への態度です。もちろん、今回そのことが元になって彼とのやり取りがあったわけで、この話のメインテーマになるのですが、ことはそう単純ではないような気がします。

私は、彼の極めて無愛想な態度に、かなりの不快感を覚えました。しかし、だからといって私の中に起こった怒りのようなものは、彼個人に向けられただけではないということです。今、もし彼のような若者が増えているとすれば、それはある意味、社会的な摩擦のようなものをあちこちで産んでいるのではないでしょうか。

軽い挨拶や笑顔といったものは、人間同士のコミュニケーションにおいて、ちょっとした潤滑油のようなものです。何も客に対してこびへつらう必要などありませんが、こちらが提供する商材やサービスにちゃんと対価を払ってくれる顧客に対しては、最低限のリスペクトはあるべきだろうと思います。

というのは、ビジネスというものは、そもそもその「顧客による対価の支払い」がなければ始まらないからにほかなりません。まあこんなこ難しい言い方をする必要もない話です。要するに様々な選択肢の中から、「私」を選んでくれたのであれば、それなりの礼は尽くすべきだと思うのです。

お互いそこの了解がなければ、ビジネスの世界は円滑に回っていかないだろうと思います。だから、多少非礼とも取れるような彼の態度に、自らを振り返って「俺は大丈夫だろうか?うちの社員たちはちゃんとやっているだろうか?」という思いも合わさって、いろいろと考えさせられたのでした。

今回「靴磨き」という私の極めて個人的な日常事の中から、「仕事」というものに関する重要な「約束事」について改めて考えさせられました。その「約束事」というのは、お互いへの礼節であり、リスペクトであり、もっと言えば「感謝」のようなもの、ということです。

ここの最低限のところを押さえておきさえすれば、おおむねビジネスは潤滑に回っていくのではないでしょうか。逆にここが欠ければ、しなくても済むはずの余計な摩擦を起こしてしまうのだ、と思います。

 

あえて追求していくであろう「揺らぎ」

さて、私が気付いた2点目というのは、「人生には時として揺らぎというものが必要であり大切である。」ということです。「揺らぎ」??ちょっと大袈裟な書き方をしてしまいましたが、「ときにはちょっと踏み込んで波風立ててみなきゃあ、新しい発見はないよな。心が大きく動くことはないんだよね。」ということになります。

例えば、今回のことにしても、わざわざ私が「ねえお兄さん・・・」と声をかけていなければ、何ごともなく終わった話です。「ちっ、近頃の若けー奴は愛想がなくてしょーがねえなあ・・」と、私がお腹の中で舌打ちでもして、とっととその場を離れていれば、もう今頃は思い出すこともなくいつもの日常に戻っていたことでしょう。

しかし、私はあえて彼に声をかけました。そしてそのことで、こうやって後になっても、結構長い文章を書くくらい引きずっているのです。

そうなったのは、今回のようにこっちからアクションを起こしたからにほかなりません。そのため、その後もあれこれと考えさせられるはめになってしまいました。(「他人事みたいに言うなよ。自ら蒔いた種じゃん。」という声が聞こえそうですが・・)

しかしまあこれは、それほど悪いことでもあるまい、と思っています。スルーすればなんでもなかった日常の中の一瞬の出来事に、ちょっとした揺らぎというか、刺激を加えたために、その後もいろいろと思いを巡らしている自分がいる、というのもありかな、と思っているのです。

おそらく、めんどくさい男(というより老人ですか?もはや)といえばきっとそうなのでしょう。けれど、何も波風立てずにスルーしまくる人生よりは、ときおりこんな風にあえて世間にちょっかいをだしてみるのも、多少アクセントがあって面白いのではないかな。勝手な言い分かも知れませんがそう思っているのです。

というわけで、これからも、ときおりそんな「揺らぎ」をあえて追求していくと思います、懲りない私は。

 

息子にもときどき突っ込みを入れることも。

この日は穏やかに。

 

つづく