ああ夏休み―久々に家族がそろって・・・―

今年の夏は賑やかだった。この3年間、コロナ禍の中、動くことがままならなかった長女家族と次女家族がそれぞれ帰省してきたからである。

今、カミさんはその長女家族と暮らしている。長女と次女は東京で近所に住んでいるので、いつもは日程を合わせて一緒に帰ってくることが多いのだが、今年は次女の出産予定日の関係でズレてしまったのだ。

9月に出産予定だった次女は、飛行機に乗れるギリギリの7月に帰ってきた。

それから10日ほど空けて、今度は長女一家とカミさんが、いつも通り8月に帰ってきた。

 

それぞれの家族は、幼い子供を抱えている。まあ、どっちの家族が帰ってきても、私の家はたちまち盛大にとっちらかってカオス状態になるのである。

次女一家は、女の子一人だが、長女のところは女の子と男の子の二人なので、カオスは2倍になる。

到着とほぼ同時にあれこれものが散乱して、家の中は「ここは保育園かっ!」といった、足の踏み場もないような状況になるのだ。

 

いずれの家族も、田舎での滞在日程に思いっきりいろんな遊びの予定を入れてきていた。

海水浴にバーベキュー、旧友たちとの交流、観光に温泉・・と、まあ盛り沢山である。

私も海水浴や温泉に駆り出された。

海水浴なんて何十年ぶりだろう・・というくらい久しぶりだった。

海水浴では、うっかり油断をして、身体を焼き過ぎてしまった。

ヒリヒリと何日も痛い思いをするはめになった。

 

どちらの旦那(義理の息子たちですね)も、仕事が忙しく、先に来た次女の婿さんは、私の書斎を借りて一日中、インターネット回線を使い東京のオフィスと繋いで仕事をしていた。

長女の婿殿は、家族より3日も早く帰ってしまった。

私も仕事を休んだわけではなく、平日はいつも通り職場へと出勤していた。

この状況、なんだか、日本のビジネスマンというか男どもの現状をよく表しているな、と感じた。

正直言って、孫の相手も一日中というのはかなりしんどい。

仕事を終えて帰ってからの時間と、休日に付き合うくらいがちょうどいい、と思った次第である。

 

子育てというのは、喧騒と混乱の中の、終わりの見えないバトルのようなものである。

女性たちはそんな中で、自らと幼い子供たちを我慢強くコントロールしながらよくやっている。

男の私には、とてもできない技(わざ)である。

さて今回も、思いっきり暴れまわるベビーギャングたちを相手に、私なりに怒りもせずにテキトーに付き合っていた。

相手をするといっても、私のことだから、かなりいい加減なものである。

 

すると、何日か経ったある日、長女のところの5歳になる上の女の子が、「じいじ、こっちこっち」と私を部屋の隅の方に招く。

「なになに、なんだ??」とついていくと、小声で「ねえ、じいじのこと大好き。じいじが一番好き」と言うではないか。

『ほほう、そいつはうれしいぜ!』と思うその前に「へえーそうなの・・・なんで?」と聞いてみた。軽い驚きと同時に、

『女の子は怖い!この調子で大きくなったら、周りの男の子は大変だぜ!』

という思いも頭の中を走る。

 

ちなみに孫の返事は「じいじは面白いから。」というものであった。

それは、以前も言われたことがある。

そんなに面白いのかい?俺が。

まあ、本当はそんなことを言われてうれしいくせに、

『こちとらは年輪を重ねてきた年の功なら何十倍もの先輩だぜ。甘い言葉にコロッとダマされると思うなよ。』

と、素直に喜べばいいものを、ひねた心が軽くブレーキをかける。

こんな幼いころから女の子は、男のハートをぐっと掴む術(すべ)を心得ている。男どもがかなわないわけである。

 

とまあ、そんなこんなでいろいろあったのが今年の夏だったのである。

夏休みに田舎の実家に帰る、という、日本において昔からあった一つの儀式というかパターンであった。

それがこのコロナ禍でままならなくなった。

そんなつらい思いを、我が家に限らず日本中の家族が強いられたこの2年間だったのだ。

ようやくそんな状況からも解放されつつある中、大いなる喧騒の中であっという間に過ぎていった我が家の「ああ夏休み」でありました。

 

トトロに抱き着いて