私があえて情報鎖国にした理由―「報道しない自由」もいい加減にしろっ!!
数年前からテレビはほとんど見なくなった。
テレビ画面を使ってみるのは、取りためておいた映画と同じく録画していたビジネス番組くらいである。
映画の方は、地上波で放送されるものはⅭⅯが入るので、もっぱら衛星専用チャンネルで録画したものに限る。
つまり、通常のテレビ放送はほとんど見なくなったということである。
そして、今年初めに新聞も購読するのをやめた。
大事な情報がほとんど書かれていない、ということが分かったからである。
大事な情報が洩れているというのは、テレビも同様だ。
いわゆる「報道しない自由」というやつを日本のマスメディアは駆使しているらしいということが分かった。
まあそれは、彼らの勝手なので、こちらも「視聴しないまたは購読しない、という自由」を主張させてもらっている。
新聞など購読料の節約になってかえって良かったかもしれないと思っている。
「報道しない自由」というやつを駆使されるとどういうことが起きるか・・・
「報道しない自由」の裏返しは「報道したいことだけを報道する」ということになる。
つまり、こういった報道姿勢に付き合っていけば、こちらもそれらの情報をもとにして、バイアスのかかった判断をするようになる危険性がある、ということになるのだ。
というわけで、既存メディアに対して「情報鎖国」を敷くことにした。
そうすると、情報が遮断されて世の中の物事がわからなくなるのではないか、という心配が出てくる。
まあ、独居老人ではあるものの、世捨て人というわけではないので、そんな生き方で大丈夫ですか?という懸念も出てくることになるだろう。
これに対して、おそらく、大方の方は予想がついているとは思うが、もちろんそんなことはないのはいうまでもない。
情報の収集場所をネットに切り替えたに過ぎない。
そうすることで、むしろ情報の量と質は上がったと思っている。
世の中には
「ネットの情報の方が、ウソが多いんじゃないの?!?デマばかりなんじゃないの!?!」
と思っている人も多いかも知れない。
それはネット情報の取り方による。
確かにネットの世界は玉石混交だ。
しかし、いろいろと聞き比べたうえで、ちゃんとしたチャンネルを選べば、マスメディアで報道されていない大事な世界の情報というものが見えてくる。
世界における重大ニュースが、日本での取り扱いが小さいどころか、全く報道されていない、という事実もしばしばあるらしいということもわかってくる。
こんな事態は恐ろしいことである。
私は私なりの「情報発信(アウトプット)」を、自らの責務と心得ているので、情報のインプットは私にとって大事な日常業務の一つである。
その仕入れ先を替えただけのことなのだが、「仕入れ情報」の品質向上ということでは大きな転換になった。
このテーマに関しては、これからも随時触れていくつもりですので、そのときはまた読んでみてください。