着地点の見えない面白さ―私が料理をいとわない理由、創意工夫が面白い?!?―Ⅴ(おしまい)

予期せぬ独り暮らしとなり、食事も自分で何とかしなければならない立場となった私は、当初、外食やコンビニ弁当で済ませていたが、これには早々に飽きてしまった。

その後、健康のことも考えて、見よう見まねでなんとか料理を作るようになったのである。

 

料理のレパートリーなどほとんどなかったので、初めの頃は料理本やネットに頼っていたものの、根がめんどくさがりやな性格のため、やがて、頭で考えて作る「勝手料理」という領域へと入っていったのである。

今では、その日、冷蔵庫に入っている材料を眺めて、「こんなものでも作ってみるか。」と想像を膨らませて、オリジナル料理を作ったりしている。

 

そうやって作った料理は、味のだいたいの着地点は想定できるものの、ときには「外れる」こともある。

「うーん、想像と違ったな。」と思っても、もうやり直しは効かない。

 

そんなときどうするか?!?

私の場合、多少まずくても食べてしまう

そこは自己責任だから仕方がない。

 

ここが、私とカミさんの最も違うところである。

カミさんの場合、ちょっとでも想定と違う結果になった場合、もう食べる気にならないようなのだ。

 

したがって、カミさんの料理はレシピ通りきっちり作ることになる。

冷蔵庫には様々な形状のファンシーなマグネットで、沢山の料理レシピのメモが貼ってあった。

材料の種類とその量が、それぞれ何十何グラムまで細かく書いてある。

カミさんらしいな、と思った。

 

ある日、東京から電話がかかってきて、そのメモしたレシピをはがしてすべて送ってくれという。

どうやら向こうで孫たちに作ってやる料理のレパートリーに加えたいようだった。

 

私は、冷蔵庫にくっつけられたその結構な枚数のメモ用紙を、バサバサとすべて外してカミさんに送ってやった。

今頃は、あの詳細なメモ紙を見ながら、孫たちにいろんな料理を作ってやっていることだろう。

 

私は前述のように、料理のできあがりの見た目や味が、想定とかなり異なる結果になっても、なんとか食べてしまえるので勝手料理が可能なのである。

こんなやり方は、カミさんには想像もつかないだろう。

 

私がそれほど料理をいとわなくなったのは、こんな風になんとかなんでも食べることができる、という理由のほかに、勝手に作ってもいい、つまり、「オリジナリティーを発揮してもOK!」というところにあるのかも知れない。

頭の中でいろいろ組み合わせて、結果がどうなるかわからない料理を作ってみるのが面白いのである。

 

というわけで、まあ、いつかは飽きてしまうかも知れないが、当面、着地点の見えない料理製作に勤しむ日々なのである。

 

耐熱皿で焼く料理と具材をくるくると巻く料理は割と好きでして・・・

おしまい