読んでいる時間よりも眺めている方が・・・―眺書三昧・・本に囲まれて暮らしている―Ⅴ(おしまい)
以前は夜型だった私が、今ではすっかり朝型になり、毎朝、書斎でのひとときを一日の始まりの時間、とするようになりました。
毎日というわけにはいきませんが、ときおり、この私にとってのゴールデンタイムに、文章の神様が降りてくるときがあります。
そんなとき書いた文章は、あとで読み返しても「へぇーっ!すごいな!!」と思うような内容や表現が記されています。
まあ、こんなこと、自分でいうのもなんですが・・・
南側の壁
さて、「眺書三昧・・本に囲まれて暮らしている」というタイトルで書いてきました。
私の書斎は、西側の大きな窓が切られている壁を除いて、北、東、南の3方は、書籍やCDなどがびっしりと収められており、それらに囲まれて普段過ごしているのです。
広い壁の全面が本棚になっているのは南側の壁で、ここには多くの書籍が収まっています。
文学、歴史、ビジネス、芸術、文明論、インテリア、ファッションと、そのジャンルは様々です。
子供の頃から、父の家にあった文学全集は、火事で焼け出されたとき残っていたもののススをはらって私の家に持ってきたものです。
幸い火事は半焼で済んで、いろいろなものは無事だったのですが、上記の書籍は、半分くらいが焦げたり水をかぶったので、なんとか残ったものだけ私が引き取りました。
個人全集は、私が学生時代から集めていたもので、手にしてからもう40年以上になります。
日本文学は夏目漱石、芥川龍之介、太宰治の各作家の全集があり、海外では、ドストエフスキー、トーマス・マン、ヘルマン・ヘッセの全集や選集が並んでいます。
これらは、一度は読みましたが、死ぬまでにもう一度読み返すことがあるでしょうか。
文学は、私の根源的な部分を形成していると心得ているものの、再びこの世界に深く降りていくことがあるのかなあ、と思うこの頃であります。
そのほか、この南側の本棚には、単行本で購入した様々な書籍、古い文庫本や新書本、雑誌のバックナンバーなどが並んでいます。
カッコよく言えば、これが俺の知の歴史か、ということになります。
タイトルを「読書三昧」ではなく「眺書三昧」としたのは、まあ、読んでいる時間よりも眺めている方が多いかな、と思ったからであります。
買ったものの、まだ読んでいない本が、私の周りにうず高く積まれています。
これらをすべて読破し、もう少しましなことを考え、中身の濃い文章を書ける日が来るものでしょうか。
床から天井まで本が並んでおります。
おしまい