生意気だったかも知れないけれど・・・―自分という人間とそのポジションを考えてみる―Ⅰ
小学校最後の年(つまり6年生ですね)は、児童会長(生徒会長と同義)という役割を務めた。
普通、ドラマとかで見る生徒会長のキャラクターは、融通の利かない堅物的で真面目な性格の人間が多いものだが、私は今と変わらないまあ適当な性格だったにもかかわらず、その役割に就いていた。
はっきりとは覚えていないけれど、たぶん選挙があったはずだから、それで選ばれたことになる。
当時は身体も大きく、勉強はできる方だったので、目立つ存在だったのだろうと思う。
とはいえ「俺は人気者だった!」などという自覚はまるでない。
自分に人気や人望があったのかなかったのかなんて、あの頃考えてもいなかっただろうし、今でも思い出せない。
ただ、選挙で票が入ったということは、そんなに嫌われていたわけでもなかろう、と言えるだけである。
なんでわざわざこんなことを書くかといえば、はっきりと嫌われていたことの方はよく覚えているからである。
先述のように目立つ存在だった私は、一部の上級生から目をつけられていた。
小学校のときに、彼らから何回か殴られたこともある。
そんな私が、地元の中学校に上がってきたら、さっそくとっちめてやろう、と手ぐすね引いて待っている連中がいる、という話も人づてに聞いていた。
というような事情もあって、あの頃、とにかく地元の中学校にだけは進みたくない、と思っていた。
それも動機の一つだったのだろう。(もちろんそれだけではないが・・)
何とか勉強をがんばって、町を離れ鹿児島市内の私立の進学校へ進んだのである。
こうやって、かろうじて地元の暴力の洗礼からだけは逃げることができた。
小学生の頃、生意気に見えるところは大いにあったかも知れないが、あえて敵を作って喧嘩をしようなどという気などさらさらなかった。
にもかかわらず、私のことをぶん殴りたいくらいに嫌っていた人間はそこそこいたことになる。
他人のことなど放っておけばいいと思うのだが、とにかくそんな連中が、私の地元にはいたのである。
何故そんな思考になるのか、いまだに彼らの心境というのはわからない。
いいところなんですけどねー・・・
つづく