仕事を管理するのではなく人を必要以上に管理する―現場に考えさせる、決めさせることの難しさ―Ⅴ
ドイツ企業に就職し、現場の「自由裁量権」の大きさに、最初は戸惑った隅田貫氏(メッツラー・アセットマネジメント シニアアドバイザー)も、徐々に慣れるにしたがって「こんなに仕事をやりやすい環境はないな」と思うようになります。
現場の同僚が上司不在の際に「今日は俺が判断するよ」と、ものごとをさっさと決めていく様子も目の当たりにします。
日本企業では考えられないこの光景とその結果について、隅田氏は次のような感想を持つのです。
―翌日出社した上司は、同僚の進めた案件について報告を受けても、何も言いませんでした。
これも日本ではあり得ません。
たとえ部下の進め方が正しかったとしても、
「何で俺に何の相談もなく話を進めたんだ!」
と上司は怒り心頭に発するでしょう。
それは結局、責任を負うのを避けているのかもしれません。
何かトラブルが起きたときに責任を取らされたくないから、自分が関知しないところで行動されたら困ると考えるのでしょう。
日本では仕事を管理するつもりが、人を必要以上に管理することになっているのかもしれません。―
ここがまさに、日本企業とドイツ企業の違いを如実に語っているのではないでしょうか。
部下が、例え正しい判断をしたとしても怒られる日本企業と、前日に即決でものごとが処理されたことを当たり前として捉えるドイツ企業では、企業全体としてのスピード感にも、やがて大きな差が出てくるのではないか、と考えられます。
私などは、このくだりを読んで
「なるほど、そういった企業風土の方が、風通しが良くて働きやすそうだ。」
と、何の抵抗もなく受け入れられるのですが、中には
「いやいや、上司に相談するのが当たり前だろう!」
と、違和感を覚える日本のビジネスマンもいるのではないでしょうか。
そうすることで、大きなトラブルに見舞われることもなく、ここまで来たんだ、と。
しかしそういった体質は、隅田氏の言われるように
「日本では仕事を管理するつもりが、人を必要以上に管理することになっている。」
ということにつながるのではないか、と考えられます。
この「必要以上に管理する」ことそのものももちろん問題なのですが、それによって管理される側も、そういった仕事の進め方が当たり前になり、やがて思考停止に陥るといった弊害が、もっと怖いと思います。
つづく