フランス文学にはドイツ文学にはない華やかさが・・・―文学全集、一家に一セットあると思っていたあの頃―15
日本文学と違い、世界の文学を読むときには、登場人物の名前がややこしくて区別がつかなくなるという難題があることに気がついた私。
大抵の書籍には、登場人物が整理された上できちんと印刷された栞(しおり)がついていた。
それを必ず手元においておくようにして読み進めれば、わけがわからなくなっても間違うことがないので、あれは随分助かった。
しかし、薄っぺらな紙きれでしかない栞は、ときどきどこかへ失くしてしまうこともあった。
そんなとき私が、登場人物についてちゃんと頭の中で整理されていて区別がつくように、と考えだした方法が、その登場人物の名前を、正確に何回か声に出して復唱してみることだったのである。
そうすることで、ややこしい片仮名の欧米人の名前もなんとかきっちりと頭の中に納まったのだ。
今考えれば、こんな原始的な方法で解決を図っていたのだから、若いといえば若かったのだろうと思う。
登場人物の名前で、今でも鮮明に頭の中に残っているのは、スタンダールの代表作「赤と黒」の主人公ジュリアン・ソレルである。
ジュリアン・ソレル・・・このネーミングからして魅力的な主人公に思えるのではないだろうか。
「赤と黒」の中で、スタンダールは、この主人公をとびっきりの美青年として描いている。
挿絵などなくても、彼がそんな美青年であることが、目に浮かぶように描かれているのだ。
このフランス文学の代表作には、ドイツ文学にはない華やかさがある。
主人公のジュリアン・ソレルが、フランスの社交界の中で、その美形を活かしながらのし上がっていく様が、華麗な社交の世界を背景に描かれているのだ。
この他、フランス文学で印象的だったのは、スタンダールからだいぶ現代に飛ぶが、サマセット・モームである。
彼の最も有名な著作は、画家のポール・ゴーギャンをモデルにしたといわれる「月と6ペンス」で、これは現代フランス文学の代表作の一つといえよう。
それから、フランスの女流作家ではコレットという人がいる。
正式にはシドニー=ガブリエル・コレットという名前で、よく知られている作品に「青い麦」という中編小説がある。
「青い麦」は、少年が(おそらく南フランスの)リゾート地で年上の人妻に恋愛感情を抱き、両者ともいろいろと翻弄される、といった筋書きだったと思う。
思春期だった当時の私にはかなり刺激的な内容だった。
今思えば、そんな大した描写などもなかったはずだが、当時はこんなシチュエーションというだけで、なんだか興奮したのである。
南フランスじゃありませんが、志布志のきれいな海。
つづく