境遇を自分に重ね合わせる―文学全集、一家に一セットあると思っていたあの頃―Ⅴ

小学生の頃から家にあった「文学全集」。

「少年少女文学全集」から始まって「日本文学全集」、「世界文学全集」を読み、日本の作家では夏目漱石と芥川龍之介、それから太宰治などはのちに個人全集まで購入して読みふけったのである。

 

中でも太宰治には、やや中毒性のような要素があり、惹き込まれるようによく読んだ。

太宰治には森鴎外や夏目漱石のような大作家感はあまりなく、流行作家のような大衆性を感じていた。

 

田舎から都会に出て、様々な場面で屈辱感や挫折感を味わうという境遇に自分を重ね合わせて、惹かれるものがあったのかも知れない。

そういう意味では、青春小説的な捉え方をしていたともいえよう。

 

話は少し逸れるが、当時、中学生や高校生の学年に合わせた雑誌が刊行されていたが、そこには連載小説のコーナーが必ずあった。

あの頃、よく掲載されていたのは「富島健夫」という小説家の作品であった。

 

私は、彼の作品をちゃんと読んだことはなかったが、甘酸っぱいような青春模様をテーマに、少年時代の性的好奇心をギリギリ刺激するような表現で書いていたことを覚えている。

今考えてみれば、読者層に合わせたいかにも売らんかな、の青春小説だったのではないだろうか。

 

日本文学ではほかに川端康成や三島由紀夫といったところをよく読んだような気がする。

石原慎太郎や大江健三郎はあの頃の文学全集には、まだメインの作家としては登場しておらず、わが家にあった「日本文学全集」が編集刊行されたあと売れた作家たちだったのであろう。

 

ましてや、村上春樹や村上龍、五木寛之などの作家は、さらにそのあと登場した人たちなので、私の「日本文学全集」という原体験からは遠い人たちなのである。

原体験から遠かったから、という理由だけとは思えないのだが、どういうわけか、こういった新しい作家軍の作品を私はほとんど読んでいない。

 

この、私が文学全集から入るというパターンをとらなかった作家で、唯一よく読んだのは「庄司薫」だったかも知れない。

今でも私の書斎の本棚には彼の作品の単行本が何冊も並んでいる。

7冊あるから、かなりよく読んだ方といえる。

 

庄司薫との最初の出会いは、高校生の頃だった。

彼が「赤頭巾ちゃん気をつけて」という小説で芥川賞を取ったことがきっかけだったと思う。

 

題名からしてもその内容からしても、当時の芥川賞としてはかなり画期的だったようで、マスコミなどで大きく取り上げられた。

そういった背景もあって興味本位で読んだのであるが、受験生がテーマということもあって、その独特な世界観に引き込まれた。

 

           太宰治全集は背中がだいぶ焼けております。

つづく

 

今日の川柳コーナー

あの頃の 読書がわが身に ついてたら

もう少しましな人生になったかなあ・・・・