自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つ―自己成長の条件とは?―Ⅱ
もう何冊も読んだ幻冬舎代表見城氏の著作の数々。
その中で、ふと本棚から取り出した「読書という荒野」というタイトルの本を開いて、冒頭のあるフレーズに目がとまった。
さて、その冒頭のフレーズには、とても印象深い言葉が書かれていた。
それは次のようなものである。
―人間と動物を分けるものは何か。
それは「言葉を持っている」という点に尽きる。
人間は言葉で思考する。
言葉を使って自らの生や死について考え、相手に思いを伝える。
人を説得し、交渉し、関係を切り結ぶ。
そして人生を前に進めていく。―
「言葉」の重要性については、こうやって日々ブログを書き、セミナーでは人前で話し、ラジオで毎月発言しているということなどもあって、私も人一倍敏感なつもりである。
この見城氏の冒頭の書き出しは、そんな「言葉」に対する思いや向き合い方を短い文章で言い切ってくれている。
ただ、私が赤線を引っぱっていたのはこの箇所ではなかった。
見城氏の著作は言葉の一つ一つが鋭く、ある種の緊張感が漂っているので、線を引っぱり始めるときりがない。
そんな中でも強く印象に残った文章に私は印をつけていた。
この本の「はじめに」の部分で、赤線を引っぱっていたのは次のくだりである。
― 僕はかねがね「自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つがなければ、人間は進歩しない」と言っている。
自己検証とは、自分の思考や行動を客観的に見直し、修正すること。
自己嫌悪とは、自意識過剰さや自己顕示欲を恥じ、自分の狡さや狭量さ、怠惰さに苛立つこと。
そして自己否定とは、自己満足を排し、成長していない自分や、自分が拠って立つ場所を否定し、新たな自分を手に入れることだ。―
自己検証はともかく、自己嫌悪や自己否定を日常的にやらなければならない、とは辛いところである。
見城氏のような、世間におけるかなりの成功者であっても、この三つを繰り返さねばならないのであろうか。
つづく
今日の川柳コーナー
◆目のせいか 読書の量も 控え気味
いや、本当は億劫になっているのでは・・・
◆何回も 同じところを 読んでいる
集中力も衰えて・・・