自分で体験したことを投影させて書く―AO入試の思い出、親子奮闘記―Ⅳ
親子一丸となって取り組むこととなった「AO入試」という受験制度。
当たり前の話だが、何もかも初めてのことなので、戸惑うことばかりだったのだが、とにかくなんとか手をつけることになったのである。
とはいえ、「世界平和」や「宗教観」といった、大きなテーマを突き付けられて、どう対処していいものか、皆目見当がつかない。
それでも、私が考えたのはテーマが大きいからといって、抽象的な頭の中で考えたことばかり綴っても、審査員には響かないだろうということであった。
審査員の心をとらえるには、受験生自らの体験と紐づいたものを中に差し込んで、自分オリジナルな内容に仕上げる必要があると考えたのである。
総花的な理解力よりも、オリジナリティあふれる解答の方が審査員の注目を集めるだろうと踏んだのだ。
今回のテーマは、この「オリジナルな部分」というのをこじ開けないと、合格につながる解答は書けないだろう、と私は踏んだのだ。
というのは、おそらくこれまで教科書で勉強してきたことの中から、これらのテーマに対する解答をまとめたところで、他との差別化はできないだろうと考えたからである。
聞いてみると、AO入試の倍率は2ケタはいっており、結構厳しいものがあるようだった。
無難で普通に優等生的な解答を書いたところで、採点する側の目に印象的に残ることはないだろう。
どんなに崇高で難しいテーマであろうとも、自分で体験したことを投影させて書くしかない。
そうやって、オリジナリティの高いものに仕上げなければ合格はおぼつかないだろう、と私は考えたのである。
娘にはその点をかなり強く伝えたので、彼女なりに自らの体験を投影したものに仕上がってきた。
それを私が添削し、ある程度まとまったレポートができあがった。
それを今度は、学校の先生にさらに添削してもらうということになった。
受験指導の責任者なのだから、その責任を大いに全うしてもらいと思ったが、私には一抹の不安もあった。
それは、学校の先生の手が入ると、また無難なタイプのものに戻りはしないか、という危惧だったのである。
私のその予感は的中した。
先生に添削してもらった内容は、私から見れば平凡なものに逆戻りしていたのである。
つづく