アウトプットは反応(レスポンス)があってなんぼの世界―インプット(情報収集)に比べてアウトプット(情報発信)は圧倒的に少ない―Ⅲ
自らの意思で、意図的に行なわなければ成立しないアウトプットは、周りから自然に入ってくるインプットに比べて、常にひと手間よけいにかかるために、取り組む人が必然的に少なくなるという事実。つ
まり「面倒」である、という壁が大いに邪魔をしていることになります。
もう一つ、インプットに比べてアウトプットが少ない理由に、すべて自己完結できるのがインプットということが考えられます。
つまり、インプットというのは別に誰に知らせることなく、やろうと思えば自分の裁量だけですべてやり切ることができるわけです。
その人が、どんな本を読んで、どんなテレビ番組を見て、どんな新聞を読んで、どんなネット情報を見て・・・と言うのは、自分の判断で自分の時間を使ってやればいいことで、別に誰に報告しなくても自己完結的に済ませることができます。
「相手」というものを必要としないのが、インプットの特徴ということになるのです。
ところがアウトプットというのは、当たり前のことですが、必ず「誰か」と接点を持つことになります。
それがSNSであっても、新聞や雑誌の投稿であっても、ラジオ出演であっても、対象が多数か少数かは別として、必ずその内容は外部の「誰か」が知るところとなります。
さて、そこでは次の二つの点が起こってきます。
ひとつはアウトプットには必ず「反応」(レスポンス)がある、ということです。
好むと好まざるとに限らず、レスポンスというものは、ほぼ間違いなく起きてきます。
そして、その反応は、必ずしも好意的なものばかりとは限りません。
中には、こちらにとって不快なものも含まれる可能性があります。
アウトプットするということは、そういったネガティブな反応が起こり得るし、そうなっても耐えうるという覚悟が必要なのです。
場合によっては「炎上」などという、極めて好ましからざる非常事態が起こり得ることも頭に入れておかなくてはなりません。
とはいえ、当たり前の話ですが、反応(レスポンス)が全くないアウトプットというのは意味がありません。
好むと好まざるとにかかわらず、アウトプットは反応(レスポンス)があってこそ、なんぼの世界なのです。
テレビ番組のレスポンスはいかに?
つづく