虚業と実業について考える―コロナウイルス禍であぶり出されたその実態と行く末―Ⅱ(おしまい)

昔、学生時代、飲み屋でアルバイトをしていた同級生が

「水商売なんて所詮『虚業』だからよ。」

などというセリフを、自虐的に吐いていたことを思い出す。

酔客をもてなすことで収入を得ながらも、彼は自分の仕事になんとなくそんな感覚をおぼえていたようなのだ。

 

さて、新型コロナウイルス禍が収束に向かっている今、自主規制が解かれたあと、夜の世界に客は戻るだろうか。

私は元のようになるのはかなり難しいのではないか、と思っている。

 

私も40代から50代前半くらいまで、夜の街に繰り出して飲み歩くのがひどく楽しかった時期があった。

今思い出せば、何故あんなに楽しかったのだろう?と不思議な気がする。

 

その後そんなこともしなくなってずいぶん時間が経ったが、別に外で飲み歩かなくてもどうということもない。

今月初めのゴールデンウイークも、ほぼずっとうちにいたけれど、やることは結構いろいろあって、あっという間に時間は過ぎてしまった。

 

今回、自粛を余儀なくされて自宅に待機していた人たち(まあ大人の男性のことを指すわけだが・・・)も、解禁になったから、さあ夜の街に繰り出そう、ということにはならないのではないだろうか。

別に私がそう願っているわけではない。

しかし、

「飲みに出なくても、まあこれで済んじゃうじゃないか。」

と、気づいた人が結構出てくるのではないか、と思うのだ。

 

先日このブログの中で、経済同友会前代表幹事の小林喜光氏(73歳、三菱ケミカルホールディングス会長)が、

「「毎晩会食、土日はゴルフ」という生活がいかに異常か、この年で気づいた。」

と言っておられたことについて書かせてもらったが、まさにそういうことなのだろう。

 

かつて私の友人が自虐的に『虚業』と呼んでいた夜の世界。

ここが、今回のこと(コロナウイルス禍)で産業構造的に痛手をこうむり、完全に元に戻るというよりは、かなり形を変えたものにならざるを得ないのではないか、という気がしてならない。

 

          これは事務所飲み(コロナ前)でございます。

おしまい