虚業と実業について考える―コロナウイルス禍であぶり出されたその実態と行く末―Ⅰ
虚業と実業という言葉があるが、その区わけには難しいところがある。
なにが虚業で何が実業なのか、簡単には言えない。
広辞苑を引いてみると、もともと「虚業」という言葉はなかったらしく、実業をもじった語、と解説されていた。
そのほかにも「堅実でない事業。実を伴わない事業。」としか書いていない。
つまり、「実業」という言葉あったが、それに対して言葉遊びのように「虚業」という、あえて反対に見える単語をあとで作ったものらしい。
したがって、これこれこういった事業を虚業と呼ぶのである、という風に、なにか先に実態があって出来上がった言葉ではなかったようだ。
とはいえ、よく虚業の代表格として水商売があげられる。
中でも、女性が脇について男性客の相手をしてくれるような店は、自虐的意味も含めて「虚業」と呼ぶことが多いようだ。
もちろん、ホストクラブのような逆の場合も同様である。
で、今回の新型コロナウイルス禍においては、この手の商売が真っ先にやり玉に挙げられた。
3蜜を見事に体現しているタイプの業態として、自粛を余儀なくされたのである。
日本におけるコロナウイルス禍は、ようやく収束の様相を見せているが、この業界の自粛要請が解かれるのは順番としては最後になるだろう。
水商売は、かなり厳しい状況が長く続くことになりそうである。
さて、自粛要請が解かれたあとのことであるが、待ってました!とばかりに客が戻るであろうか。
それまで、夜の世界で遊びなれていた人たちも、今回ばかりは自宅で大人しくしていることを余儀なくされた。
リーマンショック的な不況のときであれば、それでも金を持っている人たちは、夜の街に繰り出していたに違いない。
多少眉をひそめられたとしても、別に自粛を要請されていたわけではないからである。
しかし、今回のような疫病となると話は別である。
自分の命はもちろん惜しいし、もし感染して、それを家族にでもうつしてしまったならば、こればかりは言い訳のしようがない。
飲み屋街はどうなったのだろう?
つづく