「読書」は私に何をもたらしたか―マイナスに始まるプラスとマイナス、トータルはプラスか?―Ⅱ
よく読んだのは夏目漱石や芥川龍之介のような日本文学ばかりではない。
ドストエフスキーとかヘルマン・ヘッセ、トーマス・マンといった海外の作家のものもよく読んだ。
特にヘルマン・ヘッセはドイツの青春小説作家のようなポジションにあり、「車輪の下」などは何回も読みふけった。
進学校に進んだものの、環境に溶け込めず精神を病んでいく主人公の姿に自分をダブらせたりしたものだ。
国別で言えば、当時はドイツ文学が好きで、先述のヘルマン・ヘッセやトーマス・マンのほかに、カロッサ、シュテンファン・ツヴァイクといったそれほどメジャーではない作家のものも文庫本などでよく読んだ。
ドイツ文学の中に漂うヨーロッパの、なにがどっしりと落ち着いた雰囲気のようなものが好きだったのである。
ロシア文学では、ドストエフスキーにはまったと言っていいかも知れない。
ドストエフスキーは、河出書房が出版した全集まで買って徹底的に読みこんだのである。
「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」「白痴」など重たい大作が多く、一作読み終えるのにふうふう大変な思いをしたことを覚えている。
ところがこういった難しい文学を読み込んだことが功を奏したのか、受験の国語はひどく易しくしか思えず、予備校のテストや模試などでは何回も1番を取った。
考えてみれば、国語は大して勉強すらしなかったように思う。
日本文学に話を戻すと、最もよく読んだのはやはり太宰治かも知れない。
彼の文体の軽妙さは、非常に読みやすく、読者を中毒に陥らせるような「毒」のある部分も含めて、ある時期かなりはまって読んでいたような気がする。
つづく