枚挙にいとまがない―日本語を笑っちゃあおしまいだよ、の教訓―Ⅱ
中国の古典文学や日本の古文などを、その教養の基にした日本の文学者たちの作品。
それらの文学作品に影響された私の文章は、どうしてもちょっと古臭かったり難しく感じたりするようなのだ。
さて、そこで思い出すのは、そのマーケティングリサーチの会社でレポートを書いているときのことである。
先述のように、私たちは収集したデータをそのまま納品するのではなく、必ずそのデータから導き出される傾向や特徴などについて、こちらとしての見解をレポーティングしていたのである。
私は、あるときそういったレポートの中の文章に、「腐心している・・」という言葉を使ったことがあった。
「腐心」とは、確かに普段あまり使う言葉ではないが、そのときの内容に相応しい表現と思ったのだ。
辞書によれば
「事を進めようとして、心を苦しめ悩ますこと。ある物事を成し遂げようと、考え込んでしまうこと」
とある。
私も大体そんな意味で使った。
「苦心」とほぼ同義語である。
ただ「苦心」よりはやや深みがあり、ちょっとニュアンス的に違うのだ。
ところが、それを見た会社の他のメンバーに
「そんな言葉聞いたことがない。」
と、笑われてしまったのである。
彼らにとって、聞いたことも書いたこともない言葉だったらしい。
私は
「いや、頻繁に使う言葉ではないが、こういう文章(レポート)の中で使っても別に変な言葉というほどじゃないよ。」
と、抗弁した。
それでも、
「そんなの知らない。」
と片付けられてしまった。
私にしてみれば
『おいおい、俺たちは一応書くことのプロだぜ。これくらいの言葉、知ってろよ!』
と思ったが、そのときはそれ以上話しても無駄だと思ったので、議論するのはやめにした。
書くことのプロだろう!?!
つづく