知り合いと友人と親友と―俺の人生に「友情」はあったのか?―Ⅰ
67歳ともなると、大抵の同級生は現役を退いて、悠々自適の人生を送っているらしい。
らしい・・・と書いたのは、私はそこに参加することなく、彼らから日々送られてくるLINE上で、写真やコメントなど、最新情報を見ているからである。
LINE上にグループ登録している私の同級生は、しょっちゅう、旅行やゴルフなどに行っているらしく、写真や近況報告の長い文章が送ってくるのだ。
同じく、グループ登録している私の家族(カミさんと二人の娘たちに長男)のそれとは明らかに違っており、LINEでこんな長ったらしい文章をやり取りするのは、やはり私たちが「昭和のおじさん」だからなんだろうなあ、と思っている。(「昭和のじいさん」という説もありますが・・・)
その私たちが通ったのは男子校で、中学から入った奴らとは6年間、高校からの奴らとは3年間、いわゆる思春期の頃の濃い時間を共有しているのだ。
そこを起点にもう長い付き合いになるが、こうやって、今も結構仲良くやっているのである。
旅行やゴルフは、5,6人の仲間を集めては、しょっちゅう行っているらしく、みんなで写った写メが頻繁にアップされるのだ。
そのほとんどが東京及びその周辺に住む奴らで、当然、鹿児島の片田舎に住む私は参加できるはずもなく、
「ああ、あいつら、またどっか行ったのか・・・」
と、見るだけの立場なのである。
まあ、だからといって
「なんで俺だけいつもでもこんなにあくせく働いてなきゃあいけないんだ!この世にゃ神も仏もないものか!!」
と、ひがんでるわけでは別になく、
「仕方がないのさ。」
と、黙って眺めているだけなのである。
そんなときふと思う。
「(同級生の)こいつらには、きっと「友情」があるんだろうな。だから、いい年した今までこんな風に仲良くしていられるんだろう。」
と。
もちろん、私にとっても彼らはただの「知り合い」ではない。
当然、前述のように思春期の頃、同じ釜の飯を食った「友人」たちなのだ。
だから、私も彼らと会えば、40数年の時空を超えて、お互い好きなこと言い合い気の置けない極めて愉快な時間を共有することができるのである。
これは、のちのち大人になってから知り合った人たちとは明らかに異なるポジションなのだ。
こんな、オッサンたちの写真が送られてくるわけでして・・・・・(みんな同級生です。)
つづく