マウントを取ること、或いは取ろうとすることの愚かさについて―ここに、女性にモテる秘訣がある(おそらく・・)Ⅵ
さて、「未来」を語ることができれば女性にモテそーだ、というところまでは、ようやくなんとか到達することができた。
が、ここで、
「よっしゃあ!じゃあ、大いに将来の夢など語ってモテまくるとするか!」
と、早計に判断するのは危険である。
ことはそう簡単にはいいかない。
単純な男どもと違って、女性の目はさらにシビアなのだ。
彼女たちは、その「未来」が本当にこの男の実力の延長線上にあるか、冷静に見極めている。
ただの口先だけで言っているとすれば、すぐに見抜かれるのである。
『あんたの力量じゃ、そんな目標しょせん無理よ。せいぜいほざいてなさい!』
と思われるのが関の山である。
あんたにゃ無理よ!!
つまり、未来を語るにも、ある種の謙虚さ、確実性の裏付けみたいなものが要求されるのだ。
大言壮語、派手な未来をぶち上げた方が、一見モテるような気がするかも知れないが、それは逆である。
ここで、話は少しだけ逸れるけれど、上記の説を受けて、マウントを獲ることと「未来」を語ることの関係について考えてみたい。
具体的な例を挙げて解説すると次のようなことになる。
誰かが
「実は俺、ソフトバンクの総帥として孫正義のあとがまを狙ってんだよね。」
と言ったとする。
するとそれを聞いた誰かが
「いや俺は、CEOとしてスティーブジョブズ亡きあとのアップルの空白を埋めようと思ってさー」
と応酬したとする。
それに対して
「いやいや、俺なんかツイッターだけじゃなくフェイスブックとインスタグラムも駆使して、トランプの上を行こうと思ってんだけどねー」
と、割り込む奴がいたとすれば、これを聞いていた人は
「こいつらアホか!?!」
と思うだけだろう。
このように、未来を語ることでマウントを獲るとなると、場合によっては際限がなくなるために、上記の例えのように荒唐無稽な話になりかねない。
つまり、未来を語ることとマウントを獲ることは、一見整合性があるようで、実はあまり相性がよくないのだ。
つづく