―マーケティングを超えて手にすべきもの・・スバルよ、6気筒の復活は?―Ⅲ(おしまい)
武士は食わねど高楊枝、という言葉がある。
スバルは石にかじりついてでも6気筒を作り続けるべきではないのか。
燃費に目をつぶるのは何もアッパー層のプレミアムブランド信仰者ばかりではない。
少々ほかを我慢してでも6気筒に乗りたい、というスバルファンは結構多いと思う。
なんといっても、レガシーはかつて、スバルの経営危機をそのたった1台の存在で救った最大の功労者ではないか。
そのDNAは、アウトバックという世界に通じる類まれな名車を誕生させた。
この系譜に対するリスペクトを「懐古主義」と片付けていいのだろうか。
その存在には「懐古主義」では片づけられない、大きな意味があると私は思う。
じじいのわがまま、ということはわかっている。
わかっちゃいるが「6気筒欲しい。乗りたい!」というわがままだけは引っ込められない。
私はマーケティングを生業(なりわい)にしているが、この点に限って言えば
「マーケティングなんかくそくらえ!」
と言いたい。
大きな成功は、マーケティングを超越したところにあるのだ。
おそらく、単なるマーケティング的正解を超えて6気筒には「意味」があると思う。
この「意味」というものをスバルは大事にしてほしい。
「意味」というものが、マーケティングの合理性が提供してきた世界を凌駕するときは必ずやってくる。
その時スバルは「6気筒を手放さなくてよかった。」と思うことだろう。
いろいろごちゃごちゃ書いてきましたが、水平対向6気筒(フラット6)の復活、切に願う一スバルファンのたわごとをどうか聞いて欲しい。
おしまい