合理性を超えたところで支持されてきた「年長者は敬うべきだ」という規範―劣化したオッサンさんにならないために―Ⅳ

日本が、世界的に見てイノベーションのスピードが遅れているのは何故なのか。

中でも地方のそれが、絶望的に進んでいないのは何故なのか?という疑問に、この書評ではかなり的確に答えてくれている。

 

それはこんな風に表現されている。

―画期的なアイデアを生み出すのは、「若い人」「新参者」であることが多い。

だが権力を年長者が握ってしまうと、「若い人」や「新参者」に直接の発言権や資源動員の権力がなくなってしまう。

その結果、なかなかイノベーションが起きなくなるのである。―

まあこれは、決して今に始まったことではない。

 

イノベーションを起こすのは「よそ者、バカ者、若者」である、というのは昔から言われている定説だ。

それくらい、一度固まってしまった制度や習慣というものは崩しにくい厄介な存在なのである。

 

こういった価値観がこれほどまでに強固なのは、日本独自のそれなりの理由があるのだろう。

その点についてこの書評では次のように述べている。

 

―それでも「年長者は敬うべきだ」という規範は、合理性を超えたところでそれなりに支持されてきた。

これは長いあいだ、年長者が組織やコミュニティーにとって一種のデータベースの役割を担ってきたからだと考えられる。―

 

いわゆる、落語や江戸小噺などに出てくるご隠居さんや大家さんといった人たちのイメージであろう。

これらの年長者には、人生の様々な荒波を経て身につけてきた様々な智恵というものがある、という前提で好意的に描かれる場面が多かったのである。

 

ところが、この書評ではそういった経験値による智恵といったものの価値が急速に失われつつある、と、分析する。

その点について、比較的ち密に分析されているので次に紹介してみたい。

 

 

 

つづく