日本の政権が持つ安定度とバランス感覚―民主政治の危機、その脆弱さについて考える―Ⅶ

さて、民主政の危機に対して、日本とドイツの役割が大事である、とされる細谷教授であるが、そのことに触れる前に、以前、私が書いた民主主義に関するオピニオンを振り返ってみたい。

その中で私は、民主主義について次のように述べている。

 

民主主義というのは極めて面倒で手間のかかるものである。(中略)

 

選挙というのはそれぞれの地盤や支持業界、団体などがあって、そこの支持を取り付けられなければ当選しない。

当然政治家は常にその顔色を窺うことになる。

選ぶ方の選挙民は、市政や県政や国政のためというよりは「自分に有利」な人に投票することになるのだ。(中略)

 

なるほど、こんな基準で政治家を選んでいれば、民主主義によって政治がよくなり国や地方がよりまともな方向に進んでいく、ということになりにくいはずである。(中略)

 

だからこそ、私は若い人たちに期待する。

彼らは、まだ自らの所属する世界(地域や業界など)にそこまで大きなこだわりはない。

つまり、或る意味毒されていないのだ。

 

自分達の長い将来、どう考えどう動いたらよりましなのか、よりハッピーになれるのか、本能的に感じているはずである。

そしてそれは、年長者がそうしてきたように、小さなスケール(1地域とか1業界とか)内で自分に有利に、という選択では得られないということも判断できるはずである。

その理性や感性を政治に反映して欲しいと思う。(中略)

 

政治を当り前の状況にひき直すためにも、若い人たちの力を信じたい。―

 

言うまでもないことだが、これは私自身の身近なところで起こっている選挙や政治状況を見ての感想である。

つまり、日本の中における民主政に対する私の意見なのだ。

 

あまり立派な選挙民や政治の状況だとは思えないのでこう書いた。

しかし、細谷教授は、その日本とドイツが、民主政の危機を救う救世主となって欲しいと書かれているのだ。

 

私は、上記の中で若い人への期待を書いたが、今彼らの安倍政権への支持は、その上の世代よりも高い。

なんとなく彼らは、安倍政権が持つ安定度とバランス感覚に気が付き、これまでの政治にない質の高さを感じ取っているのかも知れない。

 

 

つづく