見たことのない新しい政治が誕生する可能性―民主政治の危機、その脆弱さについて考える―Ⅴ
意外にももろく危ういのが民主政、ということでここまで語ってきたが、過去における民主政崩壊のプロセスと全く同様の状況が起こるわけではない、ということも、細谷教授は次のように述べている。
―歴史が単純に繰り返されることはない。しかも、1930年代と2010年代の世界は、その前提条件があまりにも違いすぎる。
現代における「民主政の終焉」の後には、我々が見たことのない新しい政治が誕生する可能性がある。
その新しい政治は、今までとは異なる困難や問題をもたらすであろう。―
このフレーズは何か恐ろしい未来を予感させる。
1930年代ナチスが台頭したような状況に、そう簡単になるわけではないものの、今の段階では予測もつかないもっと異質な政治体制が出現する可能性を示唆している。
その可能性について、細谷教授は次のように続ける。
―民衆は堕落しやすい。また多数派の感情的な大衆が少数の理性的なエリートに敵意と嫉妬心を抱き、意図せずして破滅的な政治を招き入れてしまう。
自由な世界で怠惰な生活に浸かっていると、扇動的で強力な指導者に政治を委ねてしまう傾向があるからだ。(中略)
古代ギリシアのアテネでは、賢人のソクラテスが民衆によって死刑に処された。
この例と同じように、現代の米国が誇る民主政においては、多くのエリートたちが排斥されている。
民主政にあっては、民衆の感情や欲求が政治を支配するからにほかならない。―
アメリカでは、ワシントンのエリートの代表とも言えたヒラリー・クリントンが敗れ、大衆の支持を得たトランプが選挙に勝利した。
この事実は、上記の大衆の感情を意味しているのであろうか。
もちろん私自身もエリートたちの支配する政治状況を是とするわけではないが、大衆の感情や欲求が支配する政治はいかにも危うい。
この状況への対応策というものはあるのだろうか?
つづく