悪名は無名に勝る、のか?―「情報発信」について改めて考えてみる― Ⅱ
さてそうやって、田舎の一税理士事務所発の情報が、それが発信されたあと、受け止める側に対して、いったいどのように展開していっているのか気になるところではあります。
そんなことを考えていたら、こういった情報発信に対する評価をどう受け止めるのか、示唆に富んだオピニオンを発見しましたのでご紹介したいと思います。
それは、講談社から2012年に発行された藤田晋氏と見城徹氏の共著
「他人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」
という長いタイトルの著書の中にありました。
そもそもこのタイトルが、今回私が感じている疑問に対する答えのすべてを物語っています。
そうです。
人はおそらく他者に対して
「他人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」
のだろうと思います。
ただ、好意的なイメージ或いは上記くらいの距離感でいてくれているうちはいいのですが、私のようにかなり多量の情報発信をしている者の場合、ネガティブに捉えられたらどうするか、ということなのです。
その可能性は0とは言えないので、考えていた方がいいのかも知れません。
この疑問に対して
「他人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」
の中では
「悪名は無名に勝る」
という1章をわざわざ設けて、かなり強めのメッセージを発信しています。
以下、見城徹氏、藤田晋氏お二人の見解をご紹介し、それに対する私の考えを述べていきたい音思います。
つづく