新聞の人生相談欄から―障害について考える―Ⅵ
大日向氏のコメントに共感し、感心した私は、家内に対しても
「ねえねえ、今日の回答はすごくいいよ。」
と、前述の文章を読んで聞かせます。
家内は末っ子の長男が、少々ませていた上のおねえちゃん二人に比べていろんな発達があまりにも遅いので、真剣に障害を心配した時期がありました。
楽観主義の私はそれほど意にも介していなかったのですが、家内はもしそうだった時の対応策まで含めて悩んでいたのです。
東京から田舎に引っ越し、長男を保育園に入れるとき、家内は他の父兄も出席した席での挨拶の中で
「うちの子は発達が遅れているので、みなさんにご迷惑をかけるかも知れませんが、どうぞよろしくお願いします。」
と、言ったところ、帰り際に同じクラスの子供を連れた一人のお母さんが
「うちも、この子の下に障害を抱えた妹がいるのですが、あなたのようにとても人前では言えませんでした。
今日、ご発言を聞いていて少し勇気をもらいました。
今、あなたにだけはこうしてお話しますが、私にはまだ皆さんに伝えるだけの勇気はありません。」
と、話しかけてこられたことがありました。
地域的に、障害のことなどなかなか他人には言えない、といった雰囲気もあるようです。
その奥さんは、サラッと言ってしまった家内に驚いたようでしたが、
「少し救われたような気がした。」
という言葉を聞いて、私たちもうれしかったことを覚えています。
そんな心配をした長男も大人になるにつれ、3月半ばという早生まれのハンディーも徐々に克服し、なんとか学校を無事卒業できるというところまで行きました。
とはいえ、発育の遅かった幼児時代は、かなり我慢強く育てたことも確かです。
つづく