町内唯一の生き残りとして思うこと
―町の変遷と私が取り組んできたこと―Ⅳ

今から約20年ちょっと前、平成の初めに鹿児島の更に田舎に帰ってきた私が、最初に考えたのが「どこで稼げるのか?」ということでした。

ここまで書いてきたように、商工業は既に廃れて町はスカスカの空洞状態でした。

 

この頃までは、まだ土木建築業者が田舎の事業や雇用の受け皿として機能していました。

当時、事務所の顧客の業種別シェアとしては30%近くを占めていたのではないかと思います。

 

ただ、国の政策的には、全国津々浦々に数十万社あった土木建築業者の数をその半分以下に減らしていく、という基本方針がありました。

初めはなかなか効果が見えなかったこの政策も、やがて業者側が耐えられなくなり廃業が相次いだのです。

 

私は、税理士事務所が狙うべき業種としての次のターゲットはなにか、ということを必死で考えました。

そしてたどり着いたのが「農業」「社会福祉法人」だったのです。

 

結論から言えばこの狙いは当たっていました。

ただし、「社会福祉法人」の方は事務処理があまりにも煩雑だったために一時撤退という方針を取っています。

「農業」の方は狙い通りで、特化したところ、しばらく農業法人の設立など需要が多かったのです。

今は少し落ち着いています。

 

ここで申し上げたいのは、これまでのモデルが通じなくなったときは、時代に即した新しいモデルを必死で考えるということです。

いつまでも旧モデルに固執していても突破口は開けません。

 

つづく