閉塞感と働き口:映画「ブルックリン」を鑑賞して―少々辛口の地方批評―Ⅲ
昔から都会に暮らす人間の、故郷(ふるさと)の山河や風土に対する惜別の念や敬慕の心といったことがよく取り沙汰されます。
故郷は懐かしく離れがたいものとして語られ描かれることが多いのも事実です。
しかし、故郷である田舎がそんなにいいものならば、古今東西これまでこれほどの都会への人口流出は起きていないだろう、と思うのです。
田舎で暮らす人たちの保守性、狭量さが、閉塞感や心の窮屈さを生み、やがて若者をして故郷を離れせしめてきたのではないでしょうか。
田舎には良いところもあり、悪いところもあります。
都会も同じです。
しかし、人がその良いところと悪いところをギリギリの天秤にかけたとき、離れる選択を促してきたのが田舎の持つ特質なのだろうと思います。
もちろん、田舎では働き口がない、という現実の問題はあるでしょう。
しかしそれは、前述の閉塞感による田舎離れにその要因がある、とも言えます。
鶏が先か卵が先か論争に似ています。
つまり、人口流出と働く場所の喪失という悪循環を続けてきたのが、田舎である地方の現実なのです。
そして、それがいよいよ深刻になり、都会と田舎の格差が広がっている、と私が感じる原因なのかも知れません。
つづく