会議風景に見る新旧振興企業の相違点―映画やドラマを通じて見えてくるもの―Ⅳ(おしまい)
上記のように、会議というものを形式的に行なうのは、まったく無駄な話で意味がないこと甚だしい。
「会議」を取り上げたのは、これが一種の象徴的なサンプルであって、今の日本ではこういったことが大から小まで津々浦々あちこちで行なわれているのではないか、と思ったからである。
脳みそを柔らかくしてこれまでにない切り口、斬新なアイディア、突拍子もないような発想といったものをどんどん出していかなければならないのに、ガチガチの会議に象徴されるように、そういったものが最も出にくい仕組みができあがっている。
これが今の日本の現状ではないのか。
トップが威厳、権威といったものにこだわっていては、まず柔らかな発想は出てこないだろう。
ただ、そういった意識をぶち壊していくのは、今の日本においては相当難しそうである。
映画で思い出すのは、アップルの創始者スティーブ・ジョブズを描いたアメリカ映画「スティーブ・ジョブズ」である。
私の記憶に間違いがなければ、彼は全編を通して1回もネクタイをした姿など見せなかった。
もちろん、彼のような天才を持ち出すのは、かなり無理があるのは承知の上だ。
ただ、少なくともトップは部下に、型にはまった杓子定規な仕事の進め方を強要するのを少しだけやめてみたらと思う。
そうすれば、もっと面白い展開が待っていると思うのだがどうだろうか。
おしまい