変革へのプロセスをアメリカと日本の国民性の違いをヒントに考えるⅥ(おしまい)
ケント・ギルバート氏の言葉を企業活動に置き換えてみれば、また違う日本の問題点が見えてくる。
かつてのソニーやホンダのように、新しいタイプのリーディングカンパニーが出現してこない。
彼らは世界を驚嘆させ、牽引した。
残念ながら、アップルにしろマイクロソフトにしろグーグルにしろアマゾンにしろフェイスブックにしろ、現在世界をリードしている新しいタイプの巨大企業はそのほとんどがアメリカ発である。
こういうタイプのリーディングカンパニーが日本からは出てきていない。
それどころか、シャープ、パナソニック、東芝、三菱自動車、三菱重工・・いずれも次々と問題噴出である。
共通しているのは、かつて世界を牽引するほどのパワーやブランド力を持ちながら、おそらくその企業体質の問題で失速したということである。
これらの企業には、自社の悪い点は見えていた。
何をしなければならないかはわかっていたはずである。
それは、おそらくケント氏の言う
「異常なほど、変化という行動の失敗を恐れる。だから不都合は、取り返しがつかない規模にまで膨らむ。」
という悪弊が出た典型的な例ではなかろうか。
これらの企業に限らず、日本の潜在的な能力は間違いなく高いと思うのだが、結果がでていないのだ。
ケント氏の言う「試しに変えて、ダメなら元に戻せばいい」くらいの気持ちでチェンジに向き合えばいいと思うのだが。
おしまい