相談するという愚 ―したり顔の否定論者―Ⅱ
こう考えてくると、本当の意味での「相談」というのは「判断に迷っているとき」というのが一番多いのかも知れない。
誰かにジャッジを仰ぎたい、背中を押して欲しい、というときに「相談」という行為が行われる。
人は、自分で最終ジャッジをしなければならないとき迷いに迷う。
未知のことに対して自信満々の人などあり得ない。
まだ実行も実現していないのだから当たり前といえば当たり前である。
しかしながら、このケースの「相談」というのは結構曲者(くせもの)である。
かえって「相談」しなかった方がよかったじゃないか、という例は枚挙にいとまがない。
私の業界でいえば、これまでにいくつか思い出すことがある。
だいぶ前のことになるが、ある女性税理士から聞いた話である。
彼女は普段仕事をしながら、どちらかといえば男性社会である税理士の世界に多少不自由を感じていたらしい。
そこで、ある時、女性だけの士業のグループを作ったらどうか、と思いついた。
女性の税理士、社労士、司法書士、行政書士などでグループを作ったらお互い気軽に相談もしやすいし、悩みなども共有できるのでは、と思ったのである。
私などは、そんな話を聞くと「面白そう。いいじゃないすか。」と思う方である。
つづく