相談するという愚 ―したり顔の否定論者―Ⅰ

 

何か事を起こすにおいて、誰かに「相談」するというのは普通に行われている行為である。

むしろ、しない人の方が少数派であろう。

それでは「相談」はいかなる時に行なわれるのだろうか。

 

それは何といっても「事前の知識や情報が不足しているとき」というケースが想定される。

それを補うため、より深い理解を得るために行なわれる行為が相談であろう。

 

グズグズと思い悩んだり、時間をかけてやたら調べたりしているよりは、経験者や専門家に相談する方が一発回答、極めてショートカットで済む。

「相談」というよりはヒアリング、レクチャーといった方が当たっているが、これも「相談」の一つであろう。

 

また「相談」という形を借りて、ひたすら「聞いてもらいたかった」症候群、というケースもある。

「相談」という場を設けて溜まっていた思いや不満などを吐き出すのだ。

 

本人は「ああ、すっきりした。」と思っているかも知れないが、「相談」と称して付き合わされた方は、結構ストレスになっているのではないか。

これを「相談」と称しているケースも世の中には多いのだ。

 

つづく