「自分探し」ってⅢ(おしまい)

私の体験でいえば、昔、ある事情があって学業を放り出し、北海道の牧場で40日間ぶっ続け働いたことがある。(「ある事情」は聞かないでください)

「自分探し」などと言う言葉など思いつきもしなかったが、「自分の中の何かが変わるんじゃないか。」といった淡い期待を持って飛び込んだ。

 

怠惰な学生生活でふやけきっていた私にとって、40日間不休の牧場仕事は過酷を極め、1日5食も食べていたにもかかわらず、体重はずいぶん減ってしまったことを思い出す。

今考えてみれば「自分探し」にはもってこい、の体験だったかも知れない。

 

で、東京に帰った直後私は「なんか自分は変われた!」それこそ「自分探しができた!」と、思った・・・ような気がしていた。

が、もう少し長い目で見れば、まあほとんど何も変わっていなかった、というのが現実である。

 

結局「自分探しの旅」にしろ、私のような「何かが変わるかも知れないの旅」にしろ基本的には現実からのエスケープである。

「逃げ」の先には、本質的に大した結果は待っていない

 

このことは、百田氏も「こどもが泣きながら走って逃げていくようなものだった。」と、喝破しておられる。

「自分探し」などとカッコつけないで、旅行とか軽い冒険とか言った方がはるかに素直な気がするのだが・・・・

 

 

 

おしまい