文豪を気取ってみたい、憧れのスタイルー万年筆との共存生活(その2)―(前編)
私の下手な字でも平気
先日、手持ちの万年筆についてこのブログに書いた。今、こうして書いているようなホームページに発表するタイプの文章はワープロを使っている。
それとは別に、3年ほど前から手書きの執筆を始めた。こっちは全くのクローズである。自分しか読まない完全プライベートな文章なので、私の下手な字でも平気、ということなのだ。(まあ、ほとんど読み返すこともないのだが)
で、そのときの筆記具として、久しぶりに万年筆を引っ張り出して使ってみた。そうしたら、その魅力にすっかりハマってしまい、買い足したり、頂いたり、探し出したりしたため、既に手持ちが10本を超えてしまったのである。
このうち、ある方に頂いた一本については、話が長くなりそうなので「その3」で書くことにする。今回「その2」では、「久しぶりに探し出した奴」について、結構長くなると思うのだがその経緯について書こうと思う。
引き出しの奥から発見
もともと持っていた万年筆がどんな製品で、新しくどんなものを購入したのかを前回書いた。それで、結局10本くらいになったのだが、私の記憶に『確か、まだ他にもあったんじゃなかったっけ?』ということがあり、なんとなく気になっていた。
そこである日、書斎の引き出しをあちこちひっくり返してみたら、やはり、その記憶にあった2本が出てきたのである。記憶と言っても、かなり昔のことなので、「おぼろげながら・・」といった感じだったのが、その2本を見てはっきりと思い出した。
「そうそう、これこれ。昔、こういうのを買ったっけな。」と、引き出しの奥から発見されたその2本は、遠い昔の記憶を呼び覚ます。とはいえ、はっきりしているのは持っていたということだけであって、購入した際の細かい事情、時期や動機などは思い出せない。
ただ、この2本は普通のタイプではなく、そのメーカーの特別仕様のものだったはずである。そういう記念の一品というバリューに惹かれて買ったのだ、ということを思い出した。
おそらく、雑誌の広告かひょっとしたらテレビCⅯを観て欲しくなり、購入したのではないかと思う。当時は、万年筆のコマーシャルもテレビで流されていたのだ。今では信じられないような話ではないだろうか。
アメリカ製と日本製の2本
一本は、シェーファー社のもので、アメリカ製(購入当時)である。ボディもキャップも全て銀で作られたオール金属製の一本である。
繊細なペン先で、インクは吸引式だった。「だった」と書いたのは、数十年ぶりに発見したこのとき、その吸引ポンプ部分が腐食して壊れていたからだ。また、カートリッジは使えないタイプだった。
もう一本は日本のプラチナ社のもので、キャップもボディも通常の黒い樹脂で作られているのだが、変わっているのは全面にギザギザの横縞が施されている(写真参照)ことだ。こんなデザインのものは他に見たことがない。
これなど、間違いなく何かのコマーシャルを見て、限定品ということで、当時懐具合が寂しかったにもかかわらず、ちょっと頑張って買ったのではないだろうか。私のことだから、たぶんそんなところだろう。しかし、やはり細かいことは思い出せない。

上がプラチナ社で下がシェーファー社のものです。
なんか渋くて好いデザイン。
どっちも壊れていた
さて、この2本、発見したのはいいのだが、どっちも壊れていたのである。特にシェーファーの方は、前述のようにインクが吸い上げられないので、このままでは書くこともままならない。また、銀製にもかかわらず、長年しまっていたせいか、全体が黒ずんで、錆ではないのだがどうもかなり汚い色になっていた。
一方、プラチナの方は、文字を書く際にキャップをボディの後ろにくっつけようとしてもキチッとはまらない。しまうときはいいのだが、書くときボディに刺したキャップがゆらゆらするのだ。
せっかく発見した、何かしら縁のあったはずの2本が、いずれもまことに不完全な姿になっていたのである。長い間、放っておいたツケが回ってきたのかな、と思った。

こんな風にできませんでした。
つづく