○○という病Ⅲ(おしまい)

とはいえ、今の日本社会では「本音」を言いうのはやはり窮屈である。

いろんな場面で「建て前」の方が通りやすい。

 

そう思っていたところへ、下重さんの「家族という病」という本音の話が出てきたのでベストセラーになっているのであろう。

特に日本において「こうあるべき」「こんなもの」の代表とも言えた「家族という姿」が、彼女の「本音」による見事な筆力でぶち壊されている。

 

しかし、この本に関しては、私には若干の違和感も覚えざるを得ない。

彼女の指摘は、私と親の世代についてはかなり当たっていると認めるのだが、私と家内、子供たちとの関係においてはそうでもないからである。

 

私や家内は、子供たちと割と本音で付き合ってきたつもりである。

価値観を強く押し付けることも特にしなかった。

 

立派に育てた、と自慢する気もない。

彼らが立派に育ったかどうかは、これからの彼らの生き方次第である。

 

人間がひとりひとり相当偏った動物であることは心得ているつもりだ。

その偏りを他人に迷惑をかけない範囲でうまく収めながら生きていくしかない。

 

「○○という病」と言いたくなるほど、悩ましい存在であるということなのだ。

ただこの病(やまい)、なかなか興味深いと言えなくもないところが面白い。

 

 

 

おしまい