○○という病Ⅱ
ふと考えてみた。
「○○という病」を、まず頭に振れば、何故こんなにいろんなタイトルを思いつくのだろうか?
それは「病」というものが人間にくっつくものだからであろう。
マグカップが病気になったとか、ノートが鬱になったとか、窓ガラスの体調が悪いとかはあまり言わない。
壊れたとか故障したとかは言うが。
とすれば、人間には何故「○○という病」と、こんなにもいろいろ振ることができるのだろう。
それは人がそれぞれの立場や地位、ポジションで様々な悩みや問題を抱えているからであろう。
また、立場や地位だけでなく、その人固有の性格や人格によっても人は様々である。
昔はこれが、家庭や社会的な立場、宗教、地域社会などの制約の中で、ある程度「こんなもの」と既定されていた。
その社会的な制約をほぼ疑うことなく受け入れていたのがこれまでの価値観だったのだろうと思う。
しかし、それではあまりにも窮屈なことに人々は気づき始めている。
「ニート」「オタク」「アスペルガー症候群」といった、どちらかと言えばネガティブと思われてきたその人間固有の特性もある程度理解され市民権を得てきた。
つづく