「チャタレイ夫人の恋人」を抱えていた夜―あわや補導の危機に―
中学時代の話である。
私は友達から借りた文庫本を数冊抱えて、夕方遅く、もう暗くなった頃自分の下宿へと歩いていた。
すると運悪く、町を巡回していた補導担当の先生に見つかってしまった。
それほど遅い時間でもなかったので、厳しく咎められたわけではないが、まだ中学生だった私は
「今頃、何をしているんだ?」
と、問い詰められた。
私はとっさに
「と、友達のところに借りた本を返しに行くところです。」
と、うそをついた。
ホントは借りて帰るところだったのに、このちょっとしたうそをついてしまったのには訳がある。
というのは、何冊か抱えていた中の一冊が、あの頃結構話題になっていた官能恋愛文学の作品だったからである。
小説の題名は「チャタレイ夫人の恋人」。
今では、れっきとした純文学作品として評価されているが、その性的な描写があまりにも生々しいということで、発禁本に指定されたり裁判になったりした作品であった。
そんな本を借りてきて、これから読もうとしている、などということがバレたらまずい、ととっさに思ったのだ。(アホな浅知恵ですよね。借りてこようが返そうとしていようが一緒なんですけどね。)
とにかく、その本を抱えていたので私は焦った。
『うわーっ、こいつを見られたらどうしよう。「こら、いったいなに考えているんだ、こんな本抱えて!」と怒られることは間違いない。ヤバイなあ・・こいつを見られたら。』
と、心の中で自問自答する。なにしろ、中学1年か2年生の頃の話である。マセていたのだ。
そうしていたら案の定、
「その本を見せてみろ。」
と言われた。
私は「チャタレイ夫人の恋人」を一番下にして、4、5冊抱えていた本を先生に渡した。
上の3、4冊は夏目漱石とか芥川龍之介とか石川達三とかである。
先生は上から順番に見ていって、3冊目くらいでもういいか、と手を止めた。
「じゃ、できるだけさっさと帰るんだぞ。」
といいながら、本の束を私の方に返してくれたのである。
「チャタレイ夫人・・」まで行き着かなかった。
事なきを得たのであった。
これが中学時代、補導されそうになった時の一件である。まあ、今から見ればどうってことのない話だ。
「チャタレイ夫人の恋人」は、イギリスの作家、D・H・ローレンスによって書かれた恋愛小説である。
発表されたのは1928年だが、当時その性描写が過激ということで、イギリスだけでなく各国で発禁図書となったらしい。
その後日本でも翻訳本が警視庁によって発禁になったりして、裁判にもなった。
なんだかんだでそんな騒動が収まって完訳版が出版されたのは、1996年(平成8年)のことだから随分時間がかかっている。
今では立派な純文学作品として通っているのだから、当時の騒ぎはいったい何だったんだ、というくらいの話である。
私が補導されそうになったのが、1965年前後の話なので、あの頃はまだ補導担当の先生などに見つかったら結構絞られたかも知れない。
で、その後である。
当然、事なきを得て下宿に持ち帰った「チャタレイ夫人の恋人」を、私はむさぼり読んだはずなのだが、そのあらすじや興奮したであろう自分の姿が全く思い出せない。
冷や冷やしながら、補導の危機をくぐり抜けたにもかかわらず、肝心の文学の内容が記憶にないというのは情けない話だ。
時系列からすれば、当時完訳本はまだ読んでいないことになるから、今更だけど「チャタレイ夫人の恋人」、もう一回手に入れて読んでみるか。
PS:ちなみに「チャタレイ夫人の恋人」は何回か映画化されているようですので、そっちの方で知っている、という人が多いかも知れません。
私が覚えているのは、1981年、「エマニエル夫人」で有名なシルビア・クリステル主演のものになります。
「エマニエル夫人」といえば、彼女がでっかい籐の椅子に座り、半分裸みたいな姿で、大胆に足を組んだ映画のポスターが目に浮かびますな。
現在の書棚。
ここには「チャタレイ夫人の恋人」はありません。