「おやじギャグ」と紙一重なのか?!?―「ジョーク」について考えてみた―Ⅱ

「世の中、ジョークを飛ばす人間と、まるで言わない人間の2通りに分かれる。」と考えている私。

私自身、様々な会話の「場」で、ジョークやユーモアを交えてその場の話を進めることが多い。

 

どうもこれは私の勝手な思い込みみたいなものなんだろうが、「場」というものが、初めっからガチガチの緊張状態というのはよろしくない、だからそれにはなんとも耐えられない、好きではない、という私なりの心理が働くのかも知れない。

もちろんそれは先述したように時と場合によることは言うまでもない。

 

しかし、それが、社会的ポジションなどがかなり上の年配の方との「場」であっても、その方のキャラクターや精神的な余力のようなものを見定めてジョークを交えて話をする、ということをやるときもある。

まあ、ちょっとした会話の上での冒険であるが。

 

そういったときのジョークが、相当きわどかったりきつめということであれば、スベったり場が白けるというリスクも想定されるが、そこまでギリギリのコーナーを責めるということはしない。

軽く、相手の気分がくつろげるような内容であれば、会話にジョーク的なものを交えるのはかまわないと思っているのだ。

 

それが私の「普通」だったので、他の人もおおむねそういった志向は、程度の差こそあれ誰にでもあるのだろう、と勝手に思い込んでいた。

つまり、ジョークというのは、わりと普通に交わされるものと思っていたのだ。

 

しかし、今回のテーマである「ジョークというものについて」を、改めて振り返ってみると、日常のコミュニケーションの中にジョークを交える人というのは、本当に少ないな、ということに気がついたのである。

 

私の言っているジョークというやつが、いわゆる世の中で揶揄されている「おやじギャグ」であれば、ここまで書いてきたことはすべて無に帰してしまう。

場を和ませるジョークの部類なのか、いわゆる「おやじギャグ」なのかは、会話のセンスのようなものによって分かれるところだろう。

これについては自分では判定し難い。

 

もちろん、私が普段かましているジョークは、「おやじギャグ」などではないと自身では思っているが、世間の判定はどうだろう?

難しいところである。

 

私の場合、家族からの評価はやや厳しいような気がする。

カミさん、長女、次女の我が家の女性軍団は、あまり私に優しくない。

ちょっとしたジョークを飛ばしても冷ややかに見られることが多いのだ。

まあ、あちらにはあちらの言い分があるだろうが、私に言わせれば、もう少し余裕をもって見てくれてもいいのではないかと思うことが多い。

 

これもつまらんギャグですが・・・

 

つづく